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麗しのサブマリン
4 「災難でしたね」 高校生のジュンは店長の姿が見えなくなった途端、ヒカリに話題を振ってきた。 茶系に染めた手入れをしている髪を掻き分けながら、まだ少年らしい顔つきを残した端正な顔立ちの十七歳は愛想良く微笑んだ。かっこいいよりはかわいい系の彼だが、ヒカリとしては単なる後輩である。店長みたいに騒ぐことは無かった。 「まあね。でも、ジュン君も大変でしょ。店長の相手するの」 彼は適当に苦笑いする。 「いやまあ、教えてもらわなきゃいけないことが色々あるみたいで」 雑貨の補充の復習をさせながら、適当に世間話に花を咲かせる。 「そう。そういえば西原さんて野球詳しいらしいですね」 ポンと手を打つジュン。 ヒカリの手が止まった。 どうせ店長が吹き込んだのだろうが、ここで手が止まったのは失敗だった。有無を言わせずに確信を与えてしまう。 「初出勤のとき、僕のこと、肩が強いんだ〜とかいって感心してましたよね?」 「そりゃ、キャッチャーとかセンターとかやってるっていわれたらそう思うでしょ」 「いやー、普通、そんなこと、思いつかないんじゃないかって……」 ヒカリはふと顔が熱くなってくるのを感じる。どうやら、余計なことを言ったらしい。 「いや別にカマにかけたわけじゃないんですけど……さっきもスポーツ新聞みてたし……」 ヒカリの表情の変化に気づいたか、ジュンは慌てて弁解する。 「……ちょっとココ頼むね。レジやってくる」 ヒカリは頬を手のひらで冷ましながら、お客さんが並ぶレジに向かった。 「怒らせちゃったかな……?」 「どうせあたしは“普通じゃない”わよ」 お互いの独り言はさりげなく二人の耳に聞こえた。 やがて、客足が乏しくなってきたところで、ジュンはまたしても話し掛けてくる。 (仕事しろよ……高校球児) ヒカリは心の中で呟いた。 「店長が西原さんが遅刻するのは珍しいとか行ってましたけど?」 「そりゃあねえ、この店で一番真面目で礼儀正しく素直な店員ですから。っていっても、他の人が多いんだけどね」 「そうなんですか?」 「そう。気をつけたほうがいいよ。あの店長、根に持つからどんな嫌がらせされるかわかんないし」 「怖いなー。やっぱ中年のおばさんは敵にまわさない方がいいってことですね」 「世間的にはそうだよね」 「でも、今日は西原さん、そんなに言われなかったみたいですけど、これも普段の行いですか?」 ヒカリの勘が予防線を張った。 「なにがいいたいのかな?」 「いやべつに、いつも真面目な西原さんが遅れた理由ってどんなかなって」 ふふん、と笑って、一言。 「プライベートなこと」 「そうですね、失礼しました」 ジュンは笑っていった。 「まさかー、野球見てたなんてことはないですよね」 同時に、ヒカリは手でつかんでいた小銭の束を落とした。 「ちょっと、ちょっと、拾って拾って」 慌ててしゃがんで小銭をかき集めるながら、 ヒカリはジュンの頭を小突いた、 「からかってんの? それとも、なんか恨みでもあるとか?」 「えーと、僕、まずいこと言ってます?」 「いや、別に。なんかからかわれている感じがして、ね」 ふと、声音を落とす。 小銭をかき集めて、元の立ち位置に戻るとヒカリはつぶやく。 「どうせあたしは野球オタクですよ」 聞き逃さなかったのか、ジュンは追うように言葉を続けた。 「っていう話しを今日店長から聞いたんで、実際にどうなのかなって思って」 笑顔が腹立たしい。 今日遅れたことへの嫌がらせはそれだったかと、ヒカリは苦々しく思った。 「で、実際どうなんですか?」 「どうってなにが?」 「休憩室にヤンキースの帽子が置いてありましたけど、あれって」 「あたしのです。勝手に触らないで下さい」 「触ってませんけど。メジャーは観るんですか?」 「選手くらいは知ってる」 「見に行きたいと思いません?」 はあ、そうだねとヒカリは適当に相槌を打つ。 「っていうか、僕、去年見に行ってきましたよ。あれはサブウェイシリーズだったかなー」 途端にヒカリの手が止まる。止まったついでにジュンの首根っこに手が回る。 「自慢?」 「あ、やっぱり、興味あるんですねー」 サブウェイシリーズと聞いて、ピンとくる女の子はそうはいない。 だが、そういう意味でヒカリは普通じゃない。 サブウェイシリーズといえば、メジャーリーグのニューヨークに本拠地を置いたヤンキースとメッツの交流戦の通称だ。 このチームはリーグが違うことから同じ地区にあっても普通は対戦することはなく、リーグ間交流戦でしか勝負することがない。サブウェイシリーズの名はどちらのスタジアムも地下鉄で通えるためにその名がついたとヒカリは記憶していた。単純にニューヨーク・ダービーとは言わない辺りが洒落ている。 ヒカリはまだメジャーを味わったことはない。 第一、海外すら行ったことがないのだ。 そこで当たり前に見に行ってきましたよ、ではヒカリとしては癪に障る。 「僕の父が草野球チームつくったんですけど、それのレクリエーションで行ったんですよ。まあ遠足みたいなもんですよ。親睦会でもいいですけど」 「それで?」 ヒカリは無感情に続きを促す。 「いやもしよければ、メジャーリーグ観戦ツアーのある草野球チームにどうかなあとお誘いしたかったわけですけど」 「旅行代理店のキャンペーンじゃあるまいし、今ならメジャーリーグ観戦ツアーだって? なにいってんの? あたしがそんな餌に釣られるとでも思ってるの」 「そんな怒んないで下さいよ。僕だって一緒に野球やりましょうよっていいたいですけど、さすがに女の子にそういう切り出しもないなあと思って」 ふん、とヒカリは鼻で笑う。 「わかってないなあ」 ヒカリは途端に笑顔になって、つぶやいた。 「あたしは直球勝負が好きなんだけどねえ」 「それで、結局そのコと野球見に行くことにしたんだ」 「いやあ、なんか成り行きで」 ヒカリは苦笑した。 香織が隣で喋りながらも青信号を確認してワゴン車を発進させた。 助手席に座っているヒカリが後ろを振り返れば撮影用の機材やセットの材料、ゴミ、イスやテーブルなどが無造作に積んである。まるで小規模な引越しのようだった。 「だから今日のお礼はやっぱりチケットにしてってこと?」 香織は難なく荷物満載のワゴン車を操り、都内の細い路地を抜けていく。 伊達に走り屋は自称していないようで車の扱いには一日の長があるようだが、ただぶっとばすだけの香織の暴走が走り屋的行為というならば、繊細な運転技術と対を成すものではないかとヒカリは考えたが、香織にしてみれば同じらしい。 香織の車捌きに感心して、彼女が何を言っているのかすっかり聞いていなかった。 「ペアで一万円は超えるか……うーん」 ヒカリはなにかいやな予感がした。このままだと指定席のかなりいいところを払わせてしまうことになる。 「いや、別にそんな仲じゃないんで」 なんだ、と香織はつまらそうな顔をする。 「せっかくだからいい席で楽しんでもらおうと思ったんだけどなあ、お姉さんは」 「その割には値段に渋い顔だったかなと」 香織はそれこそ苦笑いで返した。 「いやあ、ばれちゃってるか」 「今日はこのまま夕飯食べて帰りましょう。どうせあたしが見に行くのは二軍戦ですから」 ちょうど目の前の信号が黄色から赤に変わるところで香織は急ブレーキを踏んだ。 ヒカリはつんのめりながら香織の言葉に備えた。 「ちょっと、何考えてんの!! 年頃の男女が多摩川土手のオンボロ球場になにしにいくのよ! それはちょっとマニアックすぎるでしょ、せめて外野席の応援団に混じって大声はりあげるとかならわかるけど、二軍戦って」 ヒカリは少し赤くなりながら弁解の声をあげる。 「だって、近いし、安いし」 「いやだからってねえ、もうちょっとこう……あぁ、でも、あんたらしいといえばそうかもしれないけど、いやそれにしても……もう、罰として今日の晩餐はファミレスね!」 えー、と非難の声をヒカリはあげるが、どうせ元々期待していないので素直に従うことになった。車は目の前のドリンクバーのあるファミレスの駐車場に乗り込む。 暖かい店内で落ち着くと香織はふうっと息を吐いてヒカリをねぎらった。 「今日はお疲れ様ね、いつもいつも悪いね、無給で」 「いやいや、いい体験させてもらってるんで」 「まあねえ、あのタレントのおばちゃんなんつったっけ」 「ちょっとディレクターが忘れてどうすんの。藤尾さんでしょう」 「藤尾さんね、あんたのこと気にいってたよ。だからたぶん次のロケも頼むかもしれない。あのおばちゃん、気難しくてね、嫌なのよ、あたしゃ。ヒカリちゃんがいるといないとだと、だいぶ違うんだよ。いやこれホントの話ね、いつかヒカリちゃんが学校のテストで来れない時があったじゃない? そん時が大変でさあ」 ヒカリはまた責められるかと思ったが、意外と今日の仕事の話を延々と続ける香織に相槌を打ちながら、ふと先日のジュンとのやり取りを思い出した。 「野球、見に行きませんか?」 たまたまバイトの上がりの時間が同じだった日にジュンから声を掛けられた。 「ジュン君の器量なら引く手数多なんじゃないの? 別にあたしに誘わなくたって」 「いやあ、素人さんばっかりなんで、それもどうかなと」 「それじゃあなにか、マニアックなあたしがいいってか?」 「いやまあぶっちゃけそうなんですけど」 別に照れてる様子も無く、普通に言う姿もちょっと可愛げがないが、言葉を少し置いた後、ヒカリは簡単に結論を出した。 「こんどそこで二軍戦やるんだけど、そこなら見に行ってもいいかな」 そこ、とは近所の二軍球場なのだが、ジュンは違うところに突っ込んだ。 「二軍戦ですか?」 驚きと好奇心の入り混じった目。珍しいものを見ているような目つきをされるのはヒカリはあまり好きではない。 「そう、二軍戦。ちょっと見たいものがあるんだけど」 わかった、とジュンが手を叩いて、故障した選手を数人上げるが、そうじゃないとヒカリは答えて、適当にごまかした。 「なんで、二軍戦」 「来期の戦力分析とか有望な選手の新規開拓とか」 もちろん嘘である。そこまで面倒くさいことは専門誌に任せたほうがいいだろう。 「へー、そんな趣味あるんですか」 「まあ、ね」 有望な選手の新規開拓は嘘じゃないとだけヒカリは思う。 「……って、聞いてるヒカリちゃん」 香織さんの声が聞こえた。 「あ、はい」 適当に答えると香織さんはこれ見よがしに言う。 「なあに、もうデートのことで頭がいっぱいかな」 そんなつもりじゃないといい終わらないうちに香織さんは言葉を続ける。 「それで、近いうちにピッチャー西原ヒカリはまたマウンドに立てる日が来るのかな?」 ヒカリは息を飲んだ。 マウンドに立って、自分の投げたボールでチームメイトを一喜一憂させる存在への道は近い。少なくとも、ジュンの草野球チームに参加すればいい、たったそれだけだ。 だが、ヒカリの声色は暗かった。 「……お母さんとの約束がありますから」 香織は安っぽいパスタをちゅるっとすって、約束の意味を咀嚼していた。 「ああ、約束ね。おばさんも罪なことするなあ」 ヒカリは黙ってその言葉を聞く。 「でも、そろそろ時効じゃないかな。だって、子供の頃の約束でしょ。もうそろそろ成人だし、好きなことをした方がいいと思うな、あたしは」 高校卒業して家出上京、かなりのどさくさと無茶を繰り返してフリーランスのテレビマンとしてとして活躍する自由人の赤木香織らしいアドバイスだ。 ヒカリは食後のコーヒーがいつになく苦く感じた。 作品紹介へ/ 次へ |
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