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麗しのサブマリン
5 「あら先輩。どこに行かれるんですか?」 河川敷の遊歩道をジュンと雑談しながら某プロ野球団の二軍球場へ向かう途中、目の前に茶髪でミニスカートの女の子が立ちふさがった。 「それと、そちらの方は?」 笑顔のまま、その瞳はヒカリの姿を捉えて離さない。 (ジュン君の知り合い? あたしの後輩だったらわかるしなあ……) 高校はここから離れた私立高、中学の後輩は知れた顔だ。とすると自分ではない、ヒカリは隣を見た。 いかにもめんどくさいことになったなあと渋面のジュンがいた。 地元民が良く使うこの河川敷の遊歩道で知り合いに遭遇する確率は高いはずだ。 こういう自体は想像できなかったのだろうか。 ジュンの表情を見ていると厄介ごとに巻き込まれたような危うい感覚が身をよぎる。 川面から流れてきた風を受けて目の前の女の子の髪が揺れる。 ジュンは少し考えながら、口を開いたようだった。 「ユキちゃん、紹介するよ。こちら、ファルコンズの救世主になってくれる西原ヒカリさん。うちのバイト先の先輩」 また風が流れた。さきほどより強い風だった。 ユキちゃんと呼ばれた彼女は軽くミニスカートの裾を抑えながら、まだヒカリに対して見定めるような視線を続ける。 「先輩〜、救世主とかいってホントですかあ? また適当なこと言ってません? わたしは騙されませんよ〜」 「いやほんとだって。ああ、そうだ、これ持ってきたんだ」 ジュンは慌ててカバンから白黒のパンフレットを取り出し、ヒカリの前に差し出す。 「うちのチームのパンフですよ、渡すの忘れてました」 活動理念やらメンバー紹介やら白黒の写真付きで載っている。代表が細野豊となっているあたり、確かにジュンパパがやっているのだろう。そして、この四角いサングラスをしたスーツのオジサンだろうと当たりをつける。 だが、今はそんなことよりもヒカリとしては彼女の目つきの悪さをどうにかしてほしい。悪者扱いというのはどうも気が気でない。 「えっとそれよりも」 と、ヒカリは口を挟もうとするが、ジュンがユキを紹介する。 高校の後輩で野球部の元マネージャー。 「元?」 「はい。やめちゃったんです。諸事情がありまして、ね、先輩」 なんとも答えにくそうな顔をしている。 「でもバカですよね、先輩とわたし追い出してもいいことないのに」 邪悪に微笑む。 「ユキちゃん、その話は長くなるから今度にしよう」 負けずに邪悪に微笑むジュン。 「それで、今日は?」 謎の微笑をさえぎるようにヒカリが口を挟むとユキはえーっと、と考えている。 この二人の関係は置いといて、なにかワケありの二人であることは明確だった。 (もう、巻き込まれたかなー?) そんな考えが頭をよぎった。 刹那、ヒカリ目掛けてまっすぐ飛んでくるボールが目に入った。 声を出す暇も無く、ヒカリは持ち前の反射神経で身体をしならせて避けた。 飛んできたボールはそのまま土手の草むらの中へ飛び込んでいく。 「わっ! あぶない!」 ユキは一呼吸置いて声を挙げた。 「大丈夫ですかぁ?」 間の抜けた声で、形だけでも心配するユキにヒカリはなんともないことをジェスチャーで示した。ヒカリはヤンキースの帽子のツバを挙げると、視線の先にこの前の少年が佇んでいるのが見えた。 (仕返しか) ヒカリは自分の体めがけて投げられたとしか思えない迷いの無い球筋だったと分析する。 その少年をユキが見つけると、声を荒げて彼の名を呼んだ様だった。 「ユウ君! なにやってんの、あぶないでしょ!!」 ヒカリが疑問に思う前にジュンが解説した。 「あ、彼はユキちゃんの弟で槙原ユウイチっていうんですよ、僕達のチームの最年少野手」 なるほど、一見素直に謝ったように見せて結局仕返しをするような少年がチームに居るのか、とヒカリの頭にインプットされた。 (さぞかし素敵なチームなんだろうね) 思い切り投げ返した自分のことを棚に上げながら、ヒカリは苦笑する。 そんなヒカリを見て、、ユウと略された少年は姉の下に駆け寄って、ヒカリを指差す。 「このねーちゃん、この前俺にぶつけたんだぜ。だからその仕返しだ」 ヒカリはいつのまにか腕を組んで少年を訝しげに見ていた。 「なんだよ」 ヒカリの態度に思い当たることでもあったのか、虚勢を張る。 「ちょっと待って、どういうこと? 知り合いなの?」 ユキが間に割り込んできた。 「順を追って説明していいかな?」 ヒカリは無感情に答える。 「西原さん、いいんですけど、そろそろ急いだほうがいいかも。試合始まっちゃいますよ」 「試合ってなんですか?」 ユキがめざとく好奇な瞳を浮かべる。 ヒカリはまた一つため息をついた。 いったいどこから説明すれば彼女は納得してくれるだろうか。 「それに、ぶつけられたって、どういうこと?」 ユキが今度は少年もとい、弟の顔色を窺う。 ヒカリの視線もじっとユウを捉えた。 「あんな速い球、とれるかよ……」 ぼそぼそっと喋る少年の態度にヒカリはふふっと笑った。 「そんだけの人の肩にぶつけたんだよ、キミは」 「アレは俺が拾いに行っただけだろ。なんで俺が悪者なんだよ」 「ボールの持ち主はキミたちだったんでしょ? それなら同じでしょ。連帯責任」 諭すようにヒカリは語るが、隣で聞いているジュンとユキがちんぷんかんぷんな表情で見つめている。 「えーと、知り合い?」 一番わけがわからないのはジュンのはずだが、意外と冷静に手を差し伸べた。 「まあ偶然に」 ヒカリが先に答える。 「会話から察するに、もしかしてユウくんは西原さんの球を受けたの?」 ヒカリの反応をあまり気にしないで、ジュンは今度をユウに質問の矢を向けたようだった。 「受けたっていうかさ、拾ってくれるもんだと思ったら、思いっきり投げてくんだもん。いきなりあの速さはとれねーよ」 ヒカリはニューヨークヤンキースの帽子を被りなおした。その動作にジュンはなにか感じ取ったらしく、ユウの肩を叩いた。 「あのさ、悪いけど、その様子、再現してくれない?」 その申し出をユウが理解するまで数十秒が要するらしく、理解したときには嫌そうな表情があらわれた。 「そういえば、ジュン君はわたしの球、まだ見てないんだっけ」 ヒカリはぼそっという。 「そういえば、見てませんでしたね」 それは申し訳ないというよりは、明らかになにかを期待した興奮気味の口調だった。 「よくもまあ、それで草野球チームに誘ったね。野球知ってれば誰でもよかったのかな?」 ちらっとユキの視線がジュンに動いたのヒカリは見逃さなかった。 「そんなことないですって。素質ありそうかなって」 えー、とユキは反論の声を挙げる。 「さっきは救世主って言ってませんでしたか? 先輩」 旗色はジュンが悪そうだが、ヒカリはそんなことは興味がない。 「少年、ちょっと受けてよ。救世主かどうか、キミのお姉ちゃんに見てもらうから」 えー、と明らかに嫌そうな顔をするユウだが、軟式のボールを軽くヒカリに向かって放り投げた。何も言わず、それを受け取ると、ヒカリは少年との距離をおく。 (十八・四四メートルってこのくらいかな?) マウンドから、ホームベースまでの距離。 まずは軽く肩ならし。ふわっと浮いた山なりの弧線を描くキャッチボールらしいボールが少年の元へと飛んだ。少年の左手のグローブがほとんど動くことなく、胸の前辺りでキャッチする。 ゲッとジュンが声を挙げる。 ヒカリは微笑む。 キャッチボール一つとっても繊細なコントロールできっちりしたフォーム。腕だけではなく全身をきっちりと機能させている。わかる人がみれば、どれだけ綺麗な形になっているか、わかるものだ。 ユウからのワンバウンドの球を受け取ると、もう一球同じ球を投げた。先程と見事に同じ場所。これには少年も驚いたようだ。 「姉ちゃん、野球やってんの?」 「だから、ピッチャーだって言ったでしょ?」 軽くあしらいながら、同じようなスロー。同じ場所に落ちる。 目を丸くしているジュンを不思議そうに見ているのは少年の姉ユキだった。 「すごいんですか?」 「ウソから出た真ってやつかなあ」 「ウソだったんですか?」 「いやいやいや、例えだよ、例え」 ふーんとユキは疑いの目をそらさない。 「そろそろいいかな」 ヒカリはちょっと座ってみて、といったジェスチャーをユウに向かってする。 「俺、キャッチャーなんてやったことないよ?」 救いを求めるようにジュンとユキを見つめる瞳に彼ら二人は気づくことも無く、ヒカリは自分自身を指差し、ユウに自分を見るよう催促のジェスチャーをした。 だが、いつまでたってもソワソワするユウに業を煮やしてか、少々強い口調で叫んだ。 「ちゃんとコッチ見ないと、また痛い目あうよ!」 少年は覚悟を決めたのか、瞳はヒカリの姿をしっかり捉えたようだった。 (そう、それでいい) むしろ“これを望んでいた”と言うべきだったかもしれない。 キャッチャーはピッチャーのことをしっかり見なければならない。そして、しっかりと受け止めなければならない。 ヒカリは投球動作に入る。 足を上げて、体重移動。後ろに振られた腕がしなるのと同時に上体が沈んでいく地面すれすれの投法。宙に上げた左足を着地、しっかりふんばって、球を放つ動作、体重の載った腕がボールに勢いをつけ、放つ一瞬の時。いわゆるリリースポイントである。 アンダースローのスピードボールは川から流れる風を横切るように切り裂き、少年のグローブめがけ、突き進む。 パアンと革に響く音。 音量こそ大したことはないものの、ヒカリはその音に満たされていく想いを感じた。運動量とは関係無しに鼓動が高鳴るのだ。 (人が受け取る球ってやっぱ最高!) 自分の放った球をしっかりと受け取ってくれる人間がいることはヒカリのこの上ない喜びなのだ。 ユウは球を受けたグローブをとっとと外し、もう受ける気がないような素振りをする。 「ってえ〜」 痛覚をアピールするように手をブンブン振る。 「ナイスピッチング!」 あわせるようにジュンが一歩踏み込んだ。 ヒカリは軽く手を振ってその声に応える。 「は、はやーい。すごーい」 ユキも思わず感心する。 そして、カバンをごそごそと探ってインスタントカメラを取り出す。 「一枚いいですか?」 いいよとヒカリが返事をする前に、 「投げるカッコしてもらえますか?」 「カッコだけ? ちょっと照れるんだけど」 頭を掻きながら、一息つけてシャドウピッチング。 先程とまったく同じモーションで投げる瞬間をシミュレート。 ボールを離すタイミングでフラッシュが焚かれる。 「かっこい〜」 シャッターを切りながらユキはつぶやく。 「絵になる〜」 一通り事が済むとヒカリは質問攻めの矢面に立たされた。たった一球で身分証明になるどころか、ちょっとしたヒロインだ。 ただ、ヒカリを憂鬱にする質問がひとつだけある。 「どっかのチームに所属してるんですか?」 「どこにも」 「え。てことは今野球やってないってことですか?」 「……そういうことになるね」 高校球児を見慣れているユキとジュン。そんな二人でさえ、ヒカリの投球をわずか一球で気にいったらしい。興奮気味に矢継ぎ早に話すジュン。女であることを除いても、それなりの能力があると思ったのだろうとヒカリは推測するが、野球をやっていないという事実に彼らは不思議がり、なおかつ、ヒカリも不思議だった。 「ちょっと約束というか決まりがあってね」 守らなくてはいけないと一人で思い込んで、その道を閉ざしてしまったのかもしれない。 でも、約束は約束なのだ。 「えー、どうみたって、練習はしてるじゃないですか」 「まあ、ね。気晴らしついでに」 自嘲気味に。 「立ち話もなんだからさ。話するならどっかいかない?」 ふと、ヒカリはジュンにアイコンタクトのつもりでウインクする。 「あのさ、向こうの球場で二軍戦やってるからさ、今から見に行かない? ジュンくんが奢ってくれるってさ」 ユキはわたしも行きますと強く言って、ユウはおごりだったら絶対行くと言って、いつのまにか、四人で野球談義になった。 たった一人で投げていたあの日の夜が馬鹿らしい、ヒカリは不意にそう思った。 作品紹介へ/ 次へ |
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