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麗しのサブマリン
6 内野席の一塁側のベンチ裏。 一軍戦なら値段の張るような良い席に四人は陣取った。全席自由ならベンチ裏がいいとヒカリが主張したのに従ったものだ。 「あんな球、どうやったら投げられるんですかぁ〜?」 「アンダースローってすごくね?」 だが、せっかくの良い席でもおしゃべりに余念が無い。というよりも、ユキとユウの槙原姉弟がしつこいくらいにヒカリを質問攻めにしているだけなのだ。 ジュンはじっとグラウンドの選手を見やる。 やはりプレイが気になるのだろうか。目の前にいるのは二軍とはいえ、プロ選手なのだ。 ヒカリはユキとユウの質問に答えながら、目は電光掲示板に注がれていた。 そこには一人の選手の名前があった。 『六番 石崎 』 いつもはテレビ中継で観戦するのだが、二軍に落ちてしまってはテレビで拝むことは出来ない。 そこそこ打てていたのにも関わらず、二軍に落ちてしまったのは怪我から復帰した有名選手との入れ替えだったと知ったのはバイト先で流し読みしたスポーツ新聞の記事からだったが、その後、一向に一軍に上がって来ないのが気になって、こうして本人の前に出向いたというのが今回の真相なのだ。 ただ、石崎のことを目の前の三人の誰一人として話していない。 だから、なぜ二軍戦と問われれば、若手選手のチェックとしか言い訳のしようがない。 「カッコイイ選手います〜?」 「姉ちゃん、選手名鑑買ってよ」 「そんなの自分で買いなよ、あたしいらないもん」 「もしかしたらイケメンいるかもしれないじゃん?」 「そこまでしたくないし〜」 ヒカリはコートのポケットから一冊取り出す。 「ポケット名鑑? 用意いいですね〜」 ジュンが楽しそうに突っ込む。 ヒカリは何も言わずに帽子のツバを直す。 「ちなみに西原さん、お気に入りっ選手っています?」 「あ、それ、あたしも聞きたーい」 「オレもー」 バックスクリーンの電光掲示板を一瞥しながら、 「え〜とね、水原勇気とか里中智とか国立球美とか」 それを聞いて、クスクスと笑うのは細野ジュン。 「西原さ〜ん、漫画じゃないっすか、全部水島新司の。しかも全員アンダースロー」 「よく知ってるね」 「野球人なら基本です」 言い切るジュンに思わずそうか? とヒカリは首を捻る。 グラウンドに視線を戻した同時に快音が響いた。 プロが使う硬球はバットの真芯で叩くと本当に良い音がする。 そして、打球はセンターバックスクリーンへ綺麗な弧を描き、落ちていく。 打った側のチームのベンチが盛り上がっていた。 観客席からでも雰囲気が感じられる。その意気揚揚とした感覚にヒカリは違う意味で想いを馳せていたりもする。 「うちましたね〜、ホームランですよ〜」 「誰、誰?」 「石崎? 知ってます? 西原さん」 わざと言ってるのか、そんなはずはないと思いながら「去年のドラ六」と解説する。 「ドラ六って麻雀じゃないんだから」 「なんですか、それ?」 ドラフト六位の略だよ、と意味がサッパリわかってないユキに丁寧にジュンが説明する。 「年棒も契約金も最低額で掘り出し物的な選手かな」 すかさずヒカリはジュンの解説を捕捉する。 「よく知ってますね」 「それぐらい知ってるよ」 むしろ、知っているからここにいるというのが正しい。 「なんか先輩楽しそうですね〜」 批判めいた口調でユキは食って掛かる。 ヒカリはわき目でその様子を楽しみながら、ふと、立ち上がった。 何気ない仕草で、三人が三人とも気にしていないのを確認して内野席をさらにベンチに向かって降りていく。 そして、ベンチの真裏のネット裏。 ヒカリは帽子を取った。 ホームベースを踏んだ石崎がチームメイトに叩かれてベンチに戻ってくるところだった。 ちょうど、真正面。 ヒカリはいいタイミングだと思った。 「石崎ー! ナイスバッティン!」 声を張り上げて、帽子を振った。 ちらと振り向いた、彼のその目と視線があった。 時間にして、ほんの数秒も無かったかもしれないが、ヒカリは石崎の表情を読み取れた。 驚いているのがよくわかる。 そして、なにげなく自然の動作の振りをして彼も軽く手を上げる。 ――あいつ、あたしのこと、まだ覚えている! その後、石崎はすぐにベンチに入ってしまったが、ヒカリとしては一瞬のコンタクトをえらく気に入った。 それだけ変わってないってことか、と腑に落ちないところもあるが、些細な問題だ。 存在は忘れられてはいないという確信があるからこそ、姿も覚えられているヒカリの心は結論を急いだ。 (あいつも忘れてはいないわけだ、あたしに対してのあの一球を) 顔面めがけて飛んできた強烈な直球。 あれは痛かった。ヒカリは心の中で何度も呟く。 身体的な痛みでもあり、人生の痛手でもある。 (あれがなければあたしだって……) そう思い始めると堪らなくなる。心の奥底からにじみでるような強い感情。重たい。色はきっと黒だ。ヒカリは目を瞑る。 ……なんのつもりで、ここへ来たのだろう。 石崎の姿を確認してどうするつもりだったのだろう。 呪いの言葉を掛けたかったのか、それとも、単にがんばっているかつてのライバルをさわやかに応援するつもりなのか。 時々わからなくなる。 ヒカリは観客席とグラウンドの境界線のネットを鷲づかみにする。 ピッチャーとしての西原ヒカリの人生を狂わせた石崎隆の姿をヒカリの目は探しているが、なかなかベンチから出てくる様子がない。もうチェンジのはずなのに。 「西原さん、もしかして、石崎と知り合い?」 気づかぬうちにジュンが隣にいた。ヒカリはその指摘にぎょっとしながら、我に返った。 ネットから手を離す。力を入れているつもりは無かったのにもかかわらず、手のひらにネットの痕がついた。 「……さっき、西原さんに向かって手をあげてましたよね、彼。なるほどね、それぐらい知ってるってそういう意味だったんですね」 「見てたの?」 観察されていた、とヒカリは自分のうかつさを恥じた。 客観的に見て、照れているという表現が近いかもしれない。頬が少し熱くなる。 「いやー、いきなり応援してるからなんだろうと思って」 そういえば、そんなことを言ったのが、きっかけだったかもしれない。 「知り合いっていうか、うん、まあ、知り合いって言えば知り合いかもね」 お友達ではない。住所は知らない。電話番号だってしらないし、直接会話したのも数回だ。 「そういえば、ほとんどコンタクトとったことないのに、なんで知り合いなんだろうね」 口に出すつもりも無い言葉が勢いあまってこぼれ落ちた。 「もしかして、野球仲間とか?」 ヒカリはジュンの勘の鋭さが嫌いになりそうだった。 「そうだね、ライバルって所かな。リトル時代の」 「へー、リトルだったんですか、僕は軟式でした」 「そう。それで、そのころ夢中になって対決したライバルって覚えてる?」 ジュンは首を捻る。 「ライバルですか? うーん、今は散らばってますからねー。あいつはどこにいったとかその程度ですよ」 「それで、どこにもいかなかったら、きっとライバルとして不甲斐ないよね」 ヒカリはジュンからグラウンドに視線を戻すと、いつのまにか守備についている石崎がいた。どうやらベンチから出てくる瞬間を見逃してしまったらしい。 「先輩、ヒカリさんと何の話ですか〜? あたしも混ぜてくださいよ〜」 ジュンは笑いながら、 「専門的な話〜」 と、お茶を濁す。 だが、なにか閃いたようにジュンは手を叩く。 「ユキちゃん、さっき話しに出た石崎って選手ってヒカリさんの知り合いらしいよ」 「マジで!」 反応が良かったのはユウの方。 ヒカリが気づかないうちに全員集合していたらしい。 「サインもらえるかな?」 いくら新人選手ともいえども、プロ選手。腐っても鯛。 野球少年の目は輝いた。 「俺、色紙買ってくる、ねーちゃん、カネ」 「あんたが欲しいなら自分で買ってきなよ」 「いーじゃん、ケチ」 不満を垂れながらもユウは早足で駆けていった。 ヒカリとしてはその姿にプレッシャーを感じる。 「言っとくけど、あたしコネなんて無いよ?」 「でも知り合いなんですよね?」 「っていってもね、こうやって生で見たのは七、八年ぶりかなあ。直接会ったの小学生のときだよ」 「じゃあ、ちょうどいいじゃないですか、会いに行きましょうよ!」 今度はユキが手を打った。感動の再会に同席できる、と目が語っているのだ。 「あたしは別に会いに来たわけじゃないし」 「うそだあ」 やはりジュンから探りが入ると途端に頭に来るようだとヒカリは再認識する。 「見に来たの。会いに来たんじゃないの。別に会いたくないし、話すこと無いし」 試合はそろそろ終盤に差し掛かっていた。 もしかしたら帰るといっても差し支えないかもしれない。 「試合もそろそろ……」 だが、色紙とサインペンを持って慌てて駆けつけたユウの姿にその言葉が止まった。 「買って来たぜー! ねえねえ、他の選手ももらえるかな? それだったら、俺、姉にするならコッチの姉ちゃんの方がいいかも」 (人の気も知らないで) 「な、なんだよ」 ヒカリの視線が気になったのか、ユウはたじろぐ。 「じゃあ、出待ちしようよ」 慌ててジュンが提案する。 ヒカリの事情とは関係なしで、球場の裏から出て行く選手にアタックするらしい。 勝手にやるとはよく言ったもので、確かにヒカリがなにをいってもユウは突撃するつもりになってしまったようだ。 少年にしてみれば、プロならば誰でもいいのかもしれない。 ――会わなくてすむ。 ヒカリはみんなの見ていない影でほっとする。 「誰のサインもらおっかな」 「好きな選手の方がいいよ」 「えー、あんまり知らない奴ばっかなんだよなー」 スコアボードの選手名を指差しながら、ユウは考え込む。 ヒカリの事情と試合の進行そっちのけでジュンとユウの作戦が進められている。 ヒカリは横目でその様子を観察しながら、最後のイニングまで試合を見届ける。 結局、石崎隆の打席はあれから回ってこなかった。 (四打数一安打二打点。凡打一つ、三振二つ、一ホーマー) 石崎の成績を反芻する。 話すことなど何も無いはずなのに、ヒカリの目は石崎を追っていた。 中学時代、ユニフォーム姿のまま西原家のインターフォンを押そうかと躊躇している石崎の姿をヒカリは思い出した。結局押さないまま、帰っていった彼の姿を。 あれが最後に見た姿だったかもしれない。 結局のところ、恨みなんて実は無いのだ。 全部自分の思い込みなんだ、どこかでヒカリの心がそう言っていた。 自分の決断力の無さが、自分からマウンドを奪っていってしまったのだ。 それを石崎のせいにしようとしている。 ――くだらない。 あんなにいいピッチャーを再起不能にした、石崎は野球雑誌で身の上を語っていた。 それは誰のことだ。 (再起不能になったのはあんたじゃないか) ヒカリへのデッドボールの影響は彼の心に直撃した。ヒカリが野球やめたのはあぶないから、石崎がピッチャーをやめたのはヒカリが野球をやめるようなきっかけをつくってしまったから。 (もったいない。あんだけの才能を) 名投手の芽を潰したのは自分の方なのだという結論。もう一つの可能性。 「馬鹿馬鹿しい、なんで被害者が加害者の心配しなきゃいけないの」 ジュンとユキとユウはヒカリのいきなりの発言にそれぞれきょとんとした。 唐突のつぶやきは癖なのかな、とヒカリはつぶやきながら、微笑んだ。 「あたしも出待ちするわ、ちょっとあいつに一言いわなきゃ」 作品紹介へ/ 次へ |
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