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麗しのサブマリン


 7

 
 球団のバスが扉を開けて待っていた。
 これに乗って帰るのだろうかと考えるが、見たことのある選手がちらほら出てきては自家用車や自転車に乗っているところを見ると、各々違うのかもしれない。
 ユウは誰にアタックしようか迷っているらしく、キョロキョロと挙動不審この上ない。
 有名なら誰でもいいじゃないかと問いに対して、うーんと首を捻る。
 警備員の目が光る中、少し臆病風に吹かれたのかもしれない。
「あたしがもらってきてあげようか?」
 柱の影に隠れて、ユウはこくりと頷く。
「次は自分で行きなよ?」
 またこくりと頷く。
「ヒカリさん、もしかして出待ちの常連ですか?」
「さあ、どうかな」
 意味深に微笑む。
 そんなことより、気が付けば西原さんからヒカリさんに呼び方が変わっていた。ユキがヒカリのことをそうやって呼ぶものだから、つられているのだろうと適当に考えているうちに選手が数人出てきた。
 ヒカリはその選手群に向かって駆けていく。
「すいませ〜ん、サインもらえ……」
 そこで言葉が止まった。
 思わず顔を覆いたくなる。
 なんで相手を確認しなかったのか、と自分を責める。
「西原か?」
 選手達のその傍らに石崎がいた。
 舌打ちしたくなる気持ちを抑えて、色紙を後ろ手に隠した。
「なに、知り合い?」
 石崎の隣の選手が訊ねているが、当の本人はまあとかそうですとか適当な応えだ。
 相変わらず、喋るのは下手なようだ。
「ひさしぶり、元気?」
「まあな」
 おまえ、もうちょっとマシな答え方ないのかと先輩にどやされる石崎。
「そういえばサインがどうとかいってなかったか?」
 余計なお世話を、とヒカリはこの選手に関して舌打ちをしそうになった。
「ほら、サインぐらいしてやれよ。あ、俺たち居たら邪魔か?」
 ヒカリは一歩退いて首を振る。
「まあまあ、そう照れない」
 名前も知らない二軍選手の手が差し出される。あとで名鑑を見て、踏んづけてやろうと心に誓う。
 彼は自分が拒絶されたのがわかるとにんまりしてバスへと足を向ける。
「んじゃ、先バス乗ってるわ」
「すぐいきます」

 律儀だな。ヒカリは相変わらず、と言いそうになったが、喉元で堪える。
「いいのか?」
 なにがいいのか、なのかよくわからないが、たぶん、サインの話だろうとヒカリはあたりをつける。
「ちょっと頼まれたんだけど、書いてもらっていい?」
 色紙とペンを差し出す。
「ユウくんへ、でユウはカタカナでいいよ」
「一人分でいいのか?」
「あたしはいらないよ、石崎のサインなんか」
「そうか」
 彼は苦笑いしたようだった。
「早く一軍いけるといいね」
「そうだな、そのうちな」
 つまらない会話だ、ヒカリはそう思った。
 石崎はあまり慣れていない感じでサインを書ききる。ルーキーはルーキーでも知名度の低いドラフト下位で一軍に入ったのが最近、期間も少しだけという有様ではサインをねだられるのも少ないだろうとヒカリは邪推する。
「ん、ありがと」
 礼を言って、踵を返そうとした。
「おまえ……」
 おまえという言い方にカチンと来たのかもしれない、思わず足を止め、最後まで聞いてしまった。
「まだ野球やってるか?」
 うっ、と息を呑んだ。
 振り向いて、黙ること数秒、
 うまく、言葉が出ない。
「なんでそんなこと聞くの?」
 代わりに、つまらないことを訊ね返していた。
 石崎は自分の野球帽を指差した。
 ヒカリにとってはヤンキースの帽子だ。
「いや、西原ってピッチャー以外の姿を想像できなくてな。今だって野球帽を被ってる」
 野球をしている姿しか見たことが無い。プライベートは想像できない、そういいたいのだろうか。野球チームに所属しなくなったのは中学時代からと知っているはずだとヒカリは思う。単にやってないではすませられないが、やっていないのは事実だ。
「当たり前でしょ、あたしはピッチャーなんだから」
「そうか」
「今度こそ、あんたを三振に討ち取る自信はあるよ」
「楽しみだな」
「草野球でよかったら、招待するけど?」
「そうだな。また西原の球が打てるのは楽しみだ」
「よく言うよ、散々打ったくせにさ」
 適当に笑いながら、ポケットの中に突っ込んだ手が紙切れに触れた。
 思い当たる節がある。
 紙切れを開いてみると、やはりそうだ。ジュンの草野球チームのパンフ。
「もし、来れそうだったら、ここに連絡とってみてよ」
 持っていたサインペンでパンフの裏に自分の携帯番号を添えて手渡す。
「じゃあね、サインありがと。あいつも喜ぶよ」
 石崎が乗り込んでバスが大量の排気ガスを吐きながら、出発する。
 バスの窓からちらりとヒカリを窺う石崎の視線。
 なにもアクションをせず、ただ黙って、ヒカリはバスが見えなくなるまで見送っていた。
 そして、バスが行った後、改めて貰ったサインを見返すと、急にそれが自宅に飾ってある風景が思い浮かんだので腹が立った。
(誰がこんなもの、欲しがるもんか!)
 落とさないように抱きしめて、夢を抱える少年の元へと届けた。


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