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麗しのサブマリン

 10

「西原ヒカリです」
 ヒカリは帽子を取って、深く頭を下げた。
「ポジションはピッチャー。本日からお世話になります、ご指導ご鞭撻の程、よろしくお願いします!」
 出だしが肝心、ナメられたらダメだ。
 根性娘よろしくとばかりに大きな声で叫んでみた。
 顔を上げると、ユニフォームをだらしなく着た腹の出た中年のオヤジが手を差し出してきた。昼前の眩しい陽光に照らされ、彼のウルトラマンの眼のような形をしたサングラスは妖しく輝く。このサングラスのセンスで、どんな服を着るんだろう。ヒカリはつまらないことが気になった。
「自己紹介するぜ。俺は細野監督の下でキャプテンを務めさせてもらってる岡部雷蔵だ。恐怖の四番バッターだ、得点圏打率九割五分、人は俺のことを恐れをなしてライディーンなんて呼ぶがな」
 低い声で言いたいことだけ言って、ガハハと笑う。
 だが、名前の由来についてはまったく説明が無く、意味がわからないままだ。
「ライディーン、適当なこというなー。ランナーいなきゃ三振するくせに」
「うるせー、俺は試合を決めるタイプなんだ、お前こそなんだ、チャンスで打てないノミの心臓だろうが」
 リーゼントのお兄さんと突然、口論になる。
 え〜っと、と困ったカオでジュン君を見れば、彼はコホンと咳払い一つする。
 ライディーンは気付いたのか、だが、悪びれることなく、
「俺たちは西原ヒカリ投手の入団を歓迎する。まあ、なんだ、このチームは野球バカばっかりだ。仲良くしてやってくれ」
 ヒカリに握手を求めた。
 一呼吸置いて、差し出せれた右手にしっかりと応える。
 ごつごつした中年の手の平。その手の平に息づく素振りをしてできる野球人特有のマメの感触を頼もしく思える。
 そして、そのまま腕を二度三度振る。
「本当によろしくお願いします。トンネルなんかしたらひっぱたきますんでー」
 先制攻撃だ、とばかりにヒカリは嘲笑するようににやりと笑う。
 岡部雷蔵の後ろにだらだらと立つ、チームの男達はにやっとしたり、くすくすと笑った。
 パチンと、握手した手を先に弾いたのは岡部雷蔵の方だった。
「いってくれるじゃねえか、嬢ちゃん」
「監督、挨拶はこのくらいでいいですよね、とっとと練習始めましょう」
 みんなの前で突っ立てるのも気恥ずかしい、そんなこともあった。
 ヒカリの後ろに立つ、これまた角張った黒いサングラスの長身の男に同意を求める。
 白地に紫の細いラインの入ったファルコンズのユニフォームを着ない、一人だけのスーツ姿の中年男性。顔はがっしりしていてるが、目つきはサングラスのため、把握できない。腕を組んだままの男――細野豊ファルコンズ監督――は口を開く。
「岡部さん、今日の練習に入ってくれ」
 重みのある声がグラウンドの砂とともに風に舞う。
 岡部は了解だと答え、チームメイトにランニングの指示をする。
「オラー、だるそうにしてんじゃねぞ! てめえら、今日こそ吐くまで鍛えてやるから覚悟しろよ」
「ライディーンこそ、音を上げんじゃねーぞ」
 怒鳴り声が乱舞し、チームメイトはライディーンの怒鳴り声にわははと笑いながら散っていく。
 最年少、小学生の槙原ユウは隣に立つ、甘いマスクの高校球児、ユニフォームをさわやかに着こなす細野ジュンに目で合図した。ジュンはそれで気づくとヒカリの背中を押した。
「ヒカリさん、行こう。突っ立ってると怒鳴られるよ。それに、ユウがヒカリさんと一緒に練習したいんだってさ」
 少年は少し赤くなって、そんなことないと噛み付く。
 ヒカリはユウの頭の上にぽんと手を平を置く。
「さて、ユウくん、お姉さんと一緒にがんばろっか」
 さらに赤くなって、ユウはヒカリの手のひらを払うが、ヒカリは面白がって追っかけまわす。
「ちょっと、ヒカリさん! うちのユウ君で遊ばないで下さい!」
 いわゆるブレザーとルーズソックスの女子高生スタイルの槙原ユキは弟のユウを後ろから抱きとめる。
「ちょっ、姉ちゃん、離せよ、恥ずかしいだろ!」
「せーの!」
 ユキはパチッとフラッシュを炊いたインスタントカメラのシャッターを切る。
 弟の首根っこをつかまえて、じたばたしている姿と後ろで笑っているヒカリの姿がフレームに収まった。
「ヒカリー! 新入りだからって、さぼってんじゃねーぞ! こっちこい、そのほっそい体を俺様直々に鍛えてやる!」
 ライディーンの怒鳴り声が早速、ヒカリの背中に浴びせられる。肩をすくめながら、ユキに手を振って、チームメイトの円に加わろうと駆け出す。
 その刹那、監督が声をかけた。
「西原、期待している」
「あ、ありがとうございます」
 ヒカリは走りながら、監督に向かって一礼した。後ろに束ねた髪が気持ちに合わせて揺れる。
 久しぶりの団体練習に体は喜んで反応した。
 ストレッチして体をほぐしながら、適当に運動した後のキャッチボール、投球練習を思うと、走りながらもにやけてしまう。
「おまえ、なにニヤニヤしてんだよ、気持ちわりーな」
 思わずぼんやりと彼の頭を眺めてしまった。
 リーゼントのお兄さん、長田隼人は横から覗き込むようにヒカリに悪態をつく。
「すいません、リーゼントなんて生で見たの初めてなんで」
「ヤクザぽいとかいうんだろ、わかってるよ、どうせ俺はろくでもねえ高利貸しだ」
「ハゲるまでやってくださいよ、その髪型」
「はぁ? 当たり前だろ、んなこと」
 太い眉でリーゼント、ヤクザ張りのドスの利いた声でもユニフォームに包まれてしまえば、野球人。
「おい、Hiro、俺のバットとってくれ」
 偉そうに指示を出す、リーゼントの長田。
 Hiroと呼ばれた青い髪の男はピアスを揺らしながら、黙ってベンチから長田のバットをさしだす。
「もう、バットを振るのか? お前はいつもそうだ、周りのペースを無視した……」
「あー、愚痴愚痴うるせいよ、この娘によ、俺の正確無比でどんな球で弾き返す鋭い天才的スイングを見せてやるってんだ」
「こういうわかりやすいやつだ、すまんな」
 お手上げのポーズでヒカリに謝るHiroと呼ばれた男。当たり前のようにヒカリより背は高い。そして、男性にしては細い。運動をやる人間に見えなく、その痩せ方はちょっと不健康に見えた。
「はは、いいですよ、おもしろいですから。あ、Hiroさんってバンドマンなんですよね、ジュン君から聞いてます。ライブとかやるんですかー?」
 自慢のスイングにヒカリが興味を示さないことに長田は「見ろよ!」と叫ぶが、Hiroが「見るな」とばかりに手で覆い隠す。
「今新曲かいてる最中だ、楽しみに待っててくれ。ライブは今度招待するよ」
「あたしギターとか弾いてみたいんで教えてくださいよ」
 ビジュアル系のお兄さんは困った顔をする。
「悪いな、俺の専門はベースだ」
 さっと髪をかきわける。
 そんなベース弾きのビジュアル系のお兄さんもバッティングが大好きな野球人。もちろん、ギターやベースをバット代わりにすることはない、いたって普通の野球人だろう。
「ヘイ、ヒカリ、ヒロのミュージックセンスに惚れるなよ」
(うわ、ガイジンだ!)
 年はヒカリよりもいくつか上だが、他のメンバーに比べかなり若い。二十台の半ばと言ったところだろうか、流暢に日本語と英語を使い分けるアメリカ系の男性だ。
「ハ、ハロー」
 突然の本物のアメリカンに気が回らず、冴えない発音で気の利かない挨拶をする。学校で4以下になったことのない英語の実力も形無しである。隣でHiroさんが苦笑している。
「おう、こいつは日本語バリバリできるからノーイングリッシュだぜ、いつかネイティブな関西弁で虎党に混じって六甲おろし合唱したいんだとよ」
 リーゼントの長田さんが割って説明する。
 ネイティブな関西弁って何だ、とヒカリは一人考え込むが特に考えても仕方がないことに気付いて考えるのをやめ、笑顔で取り繕う。
「よろしく、マイネームイズヒカリ」
 右手を差し出し、ガイジンらしく握手を求めてくる。ヒカリはそれに答えて、ささやかな国際交流だとばかりに軽く握り返した。
「OH! ヒカリ、ボクはダミアン=ロドリゲス。D=ロッドって呼んでよ」
 メジャーリーグで活躍するアメリカ最高の選手をもじったネーミング。
「どっちかっていうと、ダメ=ロッドだな」
 長田さんが間髪入れずに突っ込む。
「なんでやねん!」
 今度は中途半端な間を置いて、ダミアン流ツッコミチョップとともに突っ込み返しが入る。
(正直、微妙)
 へえ、なるほど、ダメ=ロッドねえ、と思わずヒカリは納得する。
「ヒカリチャン、ヒカリチャン、なに話してんの? 俺も仲間にいれてよ」
 ヒカリはぎょっとした。
 三十過ぎているだろう、オッサンのエリアに入ったにもかかわらず、金髪ロンゲ。あきらかに若作りしているお兄さん。脂ぎったでかい顔がイケテナイ、池田健一。
「なんでもないです、大丈夫です。ちょっとした世間話」
 応えながら、思わず一歩退いてしまった。
「なんだよ、俺、いきなり避けられてるわけ? 一緒にキャッチボールしよーぜ」
「いやー、やっぱり、キャッチボールはキャッチャーのジュン君とやるのがちょうどいいんで、遠慮しておきます」
 さらっと流して、反論の隙を与えず、池田の脇をヒカリは通り過ぎる。
 近づかない方がいい、本能的に悟ってしまった。
 気が付くと、目の前にイケメン高校生細野ジュンが立っており、さわやかな笑顔でヒカリにグローブを差し出す。
「ありがと」
 革のグローブの感触を確かめる。
 いつも慣れ親しんだはずの感触。
 自分で縫い付けた自分の名前をそっと撫でる。

 ――長かったね。

 自分自身に語りかける。
 ――あたしはまだ野球をやっている。これからも野球をやるんだ。だから、アイツにだって勝負できる。
 ついでに投げ渡された、いわゆる軟式球。ヒカリとしては赤い糸の縫いつけてある石ころみたいな硬式球が好きなのだが。
 自分の投げるボールにみんなが夢中になるのだと考えれば、それは硬式、軟式の違いなどない。
 肝心なのは、相手がいること。チームの中にいることだ。
「それじゃあ、始めようか、キャッチボール」
 距離をとって、肩口から軽く腕をしなると、ポーンときれいな弧を描いてジュンの胸あたりに落下する。
「キャッチボールひとつとってもホント、コントロールいいですよね」
 ヒカリは精神を統一するように、黙ってジュンとのキャッチボールを続けた。
「ホント機械みたいですね、狙ったところにストンと」
 ユキはヒカリのボール使いを横で真剣に見て、機械と評した。
「う〜ん、機械はこんなやわらかいボール投げないんだよね。なんていうか、すんなりグローブに入ってくる感じ。ユキちゃんでも簡単に取れるよ」
「速いですよー、速いボールって痛いんですもん」
 二人の会話はとどまることを知らないようだったが、ヒカリはそんなことより身体の温まり方と同時に精神が結晶化する感覚が生み出す緊張を味わっていた。わくわくする心と、失敗できない不安。溶け合うように交じり合い、えもしれぬ高揚感を生み出す。
 ふうっと息を吐いて、雑念を振り払う。
 構えられたミットめがけて魂のこもった球を放る。
 今はそれしかない。
(要求されたどんなコースだって投げてみせる)
 ヒカリは帽子を深くかぶりなおして、ジュンに手振りで座れとの合図をする。
 その瞬間、チームメイトが注目する。
 監督、キャプテン、リーゼント長田、ベース弾きのHiro、イケテナイ池田、ダメ=ロッド、そしてまだ会話をしていないバサバサ髪の無精ひげのお兄さん。
 しんと静まり返る。
(さあ、行くよ。あたしのボールに、みんな夢中になるんだ!)
 解き放たれた感情は、なめらかに地面を滑る。ヒカリの指先からリリースされ、風を切り裂き、ジュンのミットに吸い込まれていく。
 ミットから気持ちのいい音が響く。
(この感触がいい)
 振り切った腕が自然に拳を握る。
(今度こそ、空振りさせてやるんだから・・・・・・)


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