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麗しのサブマリン

 11

「おお」
 思わず、漏れたであろう、感嘆の息。
 ヒカリはポーカーフェイスを気取りながら、何事も無かったかのようにジュンからの返球を受ける。
「こりゃあいい。コントロールもいいし、なにしろあのツラがいいな。おーし、いっちょ揉んでやるか」
 岡部雷蔵。チーム内ではライディーンというあだ名を持つ、ファルコンズの四番打者が打席に入った。
 ぶううん、ぶううんと空気を打ちのめすような豪快な素振り。ジュンのミットめがけて何球か投球練習しているヒカリの耳にも、挑戦状のように聞こえてくる。
「せっかくの新人なんだ。手加減してやれよー」
 ベンチからリーゼントの長田さんの声が飛ぶ。
「甘い、甘い、俺様のどでかいのを一発お見舞いしてやるぜ。そのかわいい顔にむかってなあ」
 下品に笑って、ぶんぶんと一回二回素振りをして構えに入る。
 ヒカリは無視するように一呼吸置いて、振りかぶり、足を上げ、投球モーションに入る。
 そして、ボールをリリース。
 外角の低めに構えたジュン。
 しかし、ミットとはまるで逆球。
 内角の高目からさらに顔に近いところへ、ヒカリの直球が鋭い刃物のように突き刺さる。
「うお!」
 肥えた太鼓腹という、見た目の鈍臭さ以上に身のこなしがすばやく、顔すれすれの直球をうまく避ける。
「ったく、あぶねえじゃねえか!」
 尻餅をついたライディーンは怒鳴る。
「ただのインハイじゃん、なに慌ててんの!」
 ヒカリは待っていたとばかりにおどけて叫び返す。
「うるせい、このノーコン女!」
 なにをっとばかりに反論を吐くライディーン。
 まったく最近の若いモンは礼儀を知らん、とライディーンはぶつぶつ。
 ジュンは苦笑してキャッチーミットをアウトコースに導いた。
 二球目。
 ジュンの外の球という要求にしっかり応えるような直球。
 挑戦的なインハイが頭にあったのか、インコースを待っていたのかのようにライディーンは態勢を崩す。だが、体は反応したようでムリヤリ腕を伸ばす、当てにいくスイングで大きく空振る。
「これでワンストライク、ワンボールってところですか」
 ライディーンは空振りが気に入らなかったのか、舌打ちしながら、ジュンのカウントにうなずく。
 ヒカリは黙って、ジュンからの返球を受ける。
 三球目はまた外に。
 今度こそもらった、とライディーンはスイングに入るが、なかなかボールがやってこない。
 しまった、というタイミングがあるほど、一拍遅れてボールがうねっと曲がりながら落ちてくる。思わずバットが釣られるが、ボールは逃げるように曲がり、ジュンのミットに納まる。
 完全に打つタイミングを狂わすスローカーブ。
「これでツーストライク、あと一球ですよ」
「速い球以外投げない、てわけじゃあ、ねえんだな」
 急にマジメな顔つきになって、バットを構えなおすライディーン。
 だが、そんなライディーンに気を取られることも無く、ヒカリの目はすっとなめらかにインコースに寄ったジュンのミットに注がれた。
 要求するコースに、わかってるじゃん、とヒカリは思わず笑う。
 四球目。
 きわどいインコースだって迷い無く、腕を振り切る。
 今日の調子なら針の穴だって通せますよ、ジュンの声が聞こえてくる。本当にそれが出来るって事をジュンだけではなくて、新しいチームメイトにも見せつけなければいけない。
 滑らかな速球はライディーンの強振なんてなかったかのように、元から収まるべくしておさまったがごとく、ジュンのミットに吸い込まれた。

 ――やった! 十年ぶりの三振!

 ヒカリは声に出さず、口の中で喜びをかみ締める。
「この俺がバットに当てることなく三振だとっ! クソ!」
 バットを地面に打ち付けて悔しがる。
「次、オレ、オレ! ランナーいねえライディーンなんて討ち取って当然だろ?」
 ケンさんがバットを持って、ライディーンを押しのけるようにバッターボックスに入ろうとする。
 ヒカリは不敵に笑って、ボールをしっかりと握る。
「いくらでも相手するよ。あたし自信満々のバッターを空振りさせるの大好きだもん」
 ちょっと嫌な性格だろうか。
「バッティングはどうだ」
 唐突に、監督がベンチから出てきてケンさんを手で制止する。
 ホームベースからマウンドまで届くよう、ボリュームを上げた監督の声。
 ヒカリは挙手して意見する。
「あたしはDH制を支持します」
 グラウンド中、笑いで包まれた。

 ベンチの中、きょとんとしたユキは思わず弟の肩を叩く。
「DH制てなに?」
「そんなのも知らねえの? マネージャーだったんだろ?」
 ぷっとふくれっつらのユキ。
「いーよ、もう聞かないから」
 Hiroさ〜んと青い髪の男に同じ話を振る。
「DHっていうのは、ピッチャーが打たない制度のことだ。日本はパリーグで導入してる。四番でエースっていう言葉があるくらい高校野球じゃあ、ピッチャーは打つのが当たり前だろう? だけどDHっていう制度の場合はピッチャーは打順にのらない。その代わりに指名打者っていう、いわゆるDHって名目で代わりのバッターが打つことができる。6番DH長田とかいう具合にな」
「なんだよ、俺かよ」
 つられてリーゼントの長田さんが口を挟む。
「ようするに、ヒカリは投げるのに自信はあっても打つのはパスだと言いたいんだよ」
「へぇ〜、そうなんだ〜」
 わかったのかわかってないのか、ユキはマウンドのヒカリに視線を戻す。
「まあ、女の細腕で男の球を打つのは難しいだろ」
「そうでもない。女子ソフトは硬式野球よりもホームベースに近いところから投球する。スピードガン表示では野球に比べれば比べ物にならないほど遅いが、飛んでくる時――投げてくるホームに辿り着く時間だけで考えれば短い。つまり体感速度は野球よりも速いと聞いている。しかも、硬球よりも重いボールをだ。バッターはそれを打ち返す。理屈の上では女じゃあムリと片付けられる話じゃない。本人の気持ち次第だ。それに俺たちはプロじゃない。打ちたいと思って練習さえすればアマチュア相手なら――」
 髪を掻き分けながら、
「なんとでも、なるはずさ」
「丁寧な解説、ありがとうよ」
 わかったかい、ユキちゃん、と長田はまとめる。
「うーん、たぶん。わかったと思います」
「それじゃ、当の本人のバッティングを見守ろうぜ」

「滝、ちょっと投げてくれ」
 カントクに指示され、滝と呼ばれた男がマウンドに向かう。手入れのされていない長髪に痩せこけた頬。長身で、ヒカリの頭ひとつ以上、上背があった。ヒカリはボールを渡して、代わりにバットを握った。滝と呼ばれた男はボールを右手のグラブで受け取った。
 左利き、いわゆるサウスポー。
 終始無言のところが気になった。
(無愛想なヒト)
 ヒカリのファーストインパクト。
「バッティングセンターのマシンなら自信あんだけどなぁ」
 バッターボックスに入りながら、ヒカリのぼそっと言った言葉を、キャッチャーのジュンはしっかり聞いていたようだ。
「マシンだと思えばいいんじゃん?」
 まあね、と答えながら右のバッターボックスに入り、ホームベースにちょんとバットの先をつけると、マウンドに佇む無口なピッチャーに向かってバットを構える。
 腕をしっかり伸ばしてバットを斜め四十五度傾ける。
 そのバッティングフォームは俗に神主打法と言われている構えに近い。神社の神主がお払いをするときに似ていることからそう呼ばれている。
「苦手の割には凝った構えしますね」
「なんつーか、やってみたかったの」
 小声で、
「神主打法、女の子なら巫女さん打法ってね」
 ヒカリの構えを見て、ジュンが笑いをこらえている。
「真ん中来るよ」
 マウンドのピッチャーは振りかぶって、右足を大きく上げ、体の捻りを利用した体重移動で球を投げ下ろす。 
 オーソドックスな左オーバースローのピッチャーだ。
 指先から放たれたスピードボールは、真っ直ぐジュンのミットに向かった。
 存分に引きつけ、後ろに一旦引いた上体の捻りでバットを振りぬく。ヒカリの振り回したバットは空を切り、勢いを殺されることなく、ヒカリの体をコマのように回転させた。
 その派手なモーションに、勢いよくヘルメットが落ちる。
 短く切り揃えた茶色交じりの髪が爽やかに揺れる。
「カッコ悪!」
 照れるように声を上げながら、ヘルメットを拾うヒカリ。
 ベンチではライディーンが大きな声で笑っている。
「もう一球!」
 ヒカリの催促に応えるように、ピッチャーの滝に向かって返球するジュン。
 ヒカリは素振りをして、また腕をしっかり伸ばしてバットを四十五度傾ける。
 滝という男の球は打てないな、ヒカリは自覚しながらも、せめて当てようとだけ考え、グリップを短く持った。
 ミートだけに、当てることだけに、専念するのだ。
 それが功を奏したか、手首に痺れを残しながら、今度はしっかりと衝突した。
 ストライクゾーン、真ん中の低め。
 が、うまくバットを振りぬけなくて、ボールの上っ面だけに当てただけの打球はグラウンドに小さくバウンドし、無愛想のピッチャーの目の前に力なく転がった。滝はボールをじっと見つながら、左手で拾った。
「ピーゴロかあ」
 ピッチャーゴロを恥じりながらも、当たったことに安堵した。空振りだけはするわけにはいかない。
 ふとジュンを見ると、不思議そうにヒカリを見ている。
「あんなにいい球投げるのにね」
「あたしは生粋のピッチャーだからいいの!」
「一日に百球は投げても、百回は素振りしてないですよね?」
 正にその通りだけに苦笑いを返す。
 だが、監督からの質問には答えないわけにはいかない。
「バッティングはどうなんだ?」
「すいません、バッティングは興味ないんでほとんど練習してないんですよね・・・・・・あはは」
 気まずそうに。
「でもあれだけのボール投げるならいいじゃないですかあ。あたしなんてー、フライすらまともに取れないんですよー」
 ユニフォームに着替えていない理由はそうなのだろう。ユキはもっぱらスコアラー、マネージャー、カメラマンといった立ち位置か。
「その分綺麗な写真とってよ。現像したらちょうだいね」
「はい、がんばります」
 デジカメとインスタントカメラを手元に携え、ユキは元気よく返事した。
 写真が趣味の女子高生。
 タオルで額の汗を拭くと、先程の滝というピッチャーが前に立ちはだかった。
「どうも」
 と、ヒカリは挨拶すると、滝という男はウムとばかりに頷き、脇を通り去っていった。
 右手のグローブ、左利きというのがまぶしく映った。
 左投げというのはヒカリの憧れだった。だが、右利きとしてここまで培って技術がある以上、左で云々というわけにもいかない。隣の芝は青いのだ。
「左ピッチャーっていいですよね」
 スポーツドリンクを乱暴に飲むライディーンに何気なく、声をかける。その言葉に、ライディーンは遠い眼差しで滝という男を眺めながら、ドリンクを最後まで喉に流し、ぼそっとつぶやいた。。
「あいつは、右肩壊してな」
「え……もしかして、ケガとか?」
「投げ方が悪くてな、筋だがなんだか悪くしちまって、ドクターストップだ。医者が止めなくても、激痛で投げるどころじゃなかったらしいがな」
 ふと、ヒカリは自分の肩を見やる。これが無ければピッチャーをやることが出来ない大事なところ。そして、自分の野球人生を背負ってきたところ。これが壊れてしまえば、投手としてそれまでである。鉛筆が折れたので次の鉛筆をというわけにはいかない。常に一本しか用意されていないのだ。芯を磨耗しながら、投球する。肩は消耗品といわれる由縁だ。
 同じ投手という道を選んだからこそ、滝という男の苦労があの背中越しに伝わってくるようだ。
「左にしてでも、投げたかったんですか」
「並大抵な努力じゃねえな。大学で壊してな、それから十年、左で練習積み重ねて、アレだけのボールを放れるようになった。当時はキャッチボールでさえ、左じゃうまくできなかったのに、今じゃうちのチームのエースだよ」
「すごい・・・・・・まさにスポ根ですね」
「だろ。野球小僧はいつまで経っても野球小僧なんだよ、まあ世間的に言えば野球馬鹿ってところか」
 思い当たる節がある。
「うちの父親も大学野球で大ケガしたんですよ。片目の視力失って。それでも野球続けてます。似てますね」
「そうか。素敵なお父様だな。男はそういうもんだな、一途な馬鹿ものよ」
 わっはっはと豪快に笑う。
 だが、ライディーンはぴんと来たようで、笑いを止める。
「もしかして、あれか。外角打ちの西原か?」
 ヒカリはどきっとする。
 ライディーンのデータベースをなめていた。世代としては父親の世代なのだ。野球マニアなら知っていても不思議ではない。
「知ってるぞ。でかい大会だったな。相手は誰だったかな、どこぞのエースだ。外角打ちは脅威の打率、ただし、内角が大の苦手。だから徹底的な内角攻めを受けてたな。それで勢いあまってデッドボール。しかも、当たり所が悪くて左眼の視力喪失。俺は思わず同情したな。ありえない事故じゃないからな」
「よくご存知ですね。二十年も前の話なのに。それ、あたしの父親です。片目無くても相変わらず野球狂です。まあ、あたしをこんな風に育てた張本人ですから」
「そうか、あの西原の娘か。あれだろ、『鬼は外、福は内の西原の竜』懐かしいな。俺たちが大学野球見てた全盛期の選手だ。あの西原の娘とは、奇妙なめぐり合わせだな。だが、それならあの投球も親父仕込みか。なるほど」
 ヒカリは照れ笑いしながら、タオルを置いて、グローブを取った。
「父親はバッティングで有名でしたけど、あたしはピッチングですから。その辺、お間違いなく」
「覚えておくぜ」
 カエルの子はカエル。野球狂の子供は野球狂。狂うという字はあまりスキではないが、クレイジーだとか、それしか能が無い、と言う意味に置き換えればピッタリと思っている。
 だが、なぜバッティングのミートセンスを分けてくれなかったのだろうと、昔の父親のビデオを見るたびに思っていた。
(もし、あれがあったのなら、石崎と打ち合うことも出来ただろうに)
 ふと、頭が石崎に傾いていたことを恥じた。
(―関係ない。そんなことは)
 フラッシュバックの様に蘇る、彼のユニフォーム姿。昔と、今と。
(ずるい、あいつばっかりうまくなって)
 中学、高校と勉強にうちこんでそこそこの大学に入って、自分に何が残っただろう。消化不良の想いとやるせなさがじわじわと積もる一方だ。
 学歴は必要かもしれないが、ヒカリとしては、どんなことがあってもマウンドに立っていられるだけの精神力が欲しい。
 ピッチャーと言うのは自分の投球でしか道を開けず、誰かに助けを求めても何の役にも立たない。ピッチングは孤独なのだ。常に自力で解決しなければいけない。ストライクを投げなければ相手を討ち取れないのだ。ピンチを脱しないのだ。
 マウンドから降りてしまった、ただの人になってしまった。
 それで納得する人はいるかもしれないが、ヒカリは自分が納得していなかったことにこうやってまたマウンドに登って、初めて気が付く。納得しているフリをしていたんだと。
 帰ってきた故郷は懐かしいよりも、やっとという念願という安堵の息をつかせる。
「ヒカリさーん、球拾い手伝ってくださいよー」
 ジュンが声を張り上げる。
 外野に散らばったボールを一つずつ拾ってはカゴに収める。打ちっぱなしの打撃練習の功罪だ。
「自分で打った球でしょ、自分で拾いなよー」
 といいつつ、ヒカリは外野に向かう。
(怪我が怖くては野球は出来ないし、球拾いをめんどくさがっちゃ練習も出来ないか)
 悪いところばかり見ては何も出来ない。


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