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麗しのサブマリン

 14

「いやー、あのあとおもしろかったですよー。あの人前で素振りをしないライディーンがぶんぶん振ってましたからね。よっぽどヒカリさんに討ち取られたのが悔しかったんでしょうね。僕がまだシンカーがあるんですよ
っていったら、次の試合はもらったなとか言っちゃって、滝さんもエースの座を奪われるんじゃないかって、冷や汗もんみたいなこと言ってましたし。ユウくんもいつかヒカリさんの球を打つって張り切ってますよ。僕も練習しなきゃ置いてかれちゃいますよ、あはは。って、聞いてます?」
 珍しくがらんとした店内をぼんやり眺め、ヒカリは適当に頷いた。
 その様子にジュンはきょとんとしながら、しばし考え、また口を開く、
「えっと、また僕、怒らせるようなこと言いました?」
「言ってない」
 ヒカリは即答するも、その言い方では相手は納得しないなと我が身を振り返る。
「お客さん、来ないね」
「来ないですね。まあ、仕事が暇なのはいいことです」
「仕事中に暇を持て余すことはよくないよ」
「そうかな? 僕は楽なほうがいいですけど」
「いつでも忙しい振りをしていれば、仕事が出来るように見えるってことだよ。覚えておいた方が役に立つよ」
 先輩らしい物言いも、感情は入らず、なんだか棒読みになっている。
「へー、そうですか、なるほどねえ。で、その割にはさっきからヒカリさんぼっとしてますね。練習ン時はあんなにハイテンションだったのに、なにかあったんですか? 監督から変なこといわれたとか」
 監督からの言葉……ヒカリにぴんとくるものがあったが、ジュンの顔を見て、口にするのをやめた。なにかしら知っているはずなのだ、あえて問うこともする必要も無いし、なおかつ、今のヒカリはそのテンションでは
ない。 「来週の先発やるってのは聞いてますよ。その点で不満があれば、対策くらいなら付き合いますけど? キャッチャーとしてそれくらいはしますよ」
 任せてください、といったジェスチャーもお客と一緒に素通りする。
「いや、マジで無口ってわけわかんないですけど……」
 ヒカリはまじまじとジュンを見つめ、
「じゃあ、仕事に集中すれば?」
「やっぱ怒ってる」
「怒ってないよ、困ってるだけ」
「困ってる?」
「説明するのがダルイ」
「お手上げですね」
「そうだね、来週の試合もお手上げかもね」
 ヒカリはため息をつく。
 そのとき、店の自動ドアが開く。
「いらっしゃいませ〜」
 と、笑顔でいつも通りに挨拶をすると、ジュンがびっくりしたような顔をする。
「表と裏、見事なもんですね」
「そうやって生きてきたんだから、仕方ないでしょ」
「けっこう深いですね」
「どっちかっていうと“不快”だよ。あたしはあたしでいたい」
 もう一度、自動ドアが開く。
「いらっしゃいま……あ、ユキちゃん」
「こんちわー。元気ですかー」
 ぺこりとお辞儀しながらの挨拶にジュンが不思議と気まずそうな顔をする。
「ココ教えたっけ?」
「勘ですよ、勘。この辺かなって、あたしの直感も捨てたもんじゃないですよ」
「それで、どうしたの、買い物?」
「いや、先輩がヒカリさんにちょっかい出してないか見に来たんです」
 ヒカリはくすっと笑う、ジュンはそれを見て、ユキと見比べているようだった。
「ジュン君がさっきから喋りっぱなしで少し鬱陶しいかな。とっとと連れて帰ってくんない?」
 つられてユキが笑う。
「了解で〜す〜」
 と、敬礼までして。
「って、違いますよ。今日は写真が出来上がったんで届けに来たんです。もしかしたら、次ぎ会うのって、試合の日になっちゃうんじゃないかと思ってー、やっぱこうゆうのって、前々の方がいいじゃないですかー」
 カバンをごそごそと探って、なんちゃらフィルムと横文字で書かれた紙封筒を取り出す。
「この前の練習のと、野球見に行った日の両方入ってますから。フォームとかばっちり映ってますよ。ヒカリさんってスタイルいいから、すんごいカメラ映えするんですよぉ。いいなあ。あと、あのアンダースローって言
うのもカッコよく映ってるんで、フォームの修正とかに役立ててください。あれって、ホント絵になるしー。ココだけの話、あたしの写真で先輩のバッティングフォームって大分変わったんですよ」  ユキの話を半分に聞いて、写真の封筒を受け取る。意外と厚みがある。
「ありがと。お金は?」
「いいですよ、あたしからの餞別です。今度の試合、いいピッチングしてくださいね。ばっちり撮りますから」
 次の試合……ふと、ヒカリの表情に影が落ちる。
「あれ、あたしまずいこといいました?」
 ジュンが首を振る。
「なんか今日、ずっとこんな感じなんだよね、ヒカリさんって」
 ジュンはお手上げのポーズ。
「なにかあったんですかぁ? わたしでよければ相談に乗りますよぉ」
 ヒカリはふふっと苦笑する。
「なんていうか、次の試合、出れるかわかんないかも」
 言って、不意に石崎の顔が思い浮かんだ。

 バイト帰りの深夜の道はいつも以上に暗い。
 煌々と明かりを放つ電灯が立っていても心細くて仕方ない。
 闇を照らす光は人工のものではダメなのだ。
 風も冷たくなって、夜はコート無しではいられなくなってきている。厚く着込んで本来の動きも鈍くなる。でも、気持ちさえ、満ち足りていれば半そで短パンでランニングすることも可能である。要は気持ちの持ち様で
ある。  だからこそ、気持ちが沈んでは勝てる戦も勝てない。
 いや、戦ではないのだ。勝ち負けなどないのだから。
 ――嫌だと言われたら、あたしは逆らいたくは無い。
 嫌がらせでヒカリに野球をやらせないのではない。幸せを願うから、つまらないこだわりを捨てて普通に生きろと言っているだけなのだ。
 例えヘタでも、野球に関するこだわりを捨てきれないヒカリにとっては、苦痛の理想なのだ。中学、高校は塾通いで進学校という枠の中では身動きがとれず、さすがに庭先でのキャッチボール程度だが、ファルコンズと
い う出会いはヒカリの心の芯の部分に猛烈に突き刺さるのである。
 いや、とヒカリは訂正する。
 ――石崎との再会があったからだ。
 だから、またあの時のような対戦を夢見てしまう。
 元気になったアルベルトに跨って、ヒカリはため息をつく。
 なんだかペダルを漕ぐのに疲れ、道路脇の小さな公園のベンチにそっと腰を下ろす。頭上にはやはり煌々と輝く電灯が立っていた。
 コーヒーが飲みたいなあと辺りを見回すも、自動販売機は見当たらず、無人の砂場とブランコが目に入る。
 またため息をつく。
 母親のアパートに乗り込んで話をつけにいこうと意気込んでみたものの、やはり途中でこういう有様になってしまう。
 ハンドバッグをつかむと、ふと封筒が目に入った。
 ユキから貰った写真。手にとり、写真を眺めると、全部ヒカリの映っているものだった。
 それでこの厚さとヒカリは驚く。どうも気に入られているようであるという確信が芽生える。
 写真をめくる手がとまったのは、あの、石崎の試合を見に行った日の日付。
 そして、映っているのは石崎とヒカリが並んでなにか話しているような遠景。だいぶ離れたところから撮っているのだろう。表情を窺えない。だが、二人だけの空間という意味では間違っていない。もう少し近い距離で
、もう少し、石崎が有名なら、週刊誌にだって売れるかもしれない。  ――まったく、余計な写真撮って。
 だが、この写真で手が止まるということでヒカリの中で自分の正直な想いがわかる気がする。
 でも、それはあまりに馬鹿馬鹿しくて、気にいらない感情。
 冗談じゃないと一笑に付す。
 わざとらしく大袈裟に次の写真をめくる。
 次はマウンドの上のヒカリ。
 凛とした表情でセットポジションに入っている。
 そして、次の写真は投球動作中のヒカリの姿。連続写真の様に投げるモーション、投げたあとのモーションと続いている。うまく撮るものだと感心しながら、自身のピッチングフォームに感動する。アンダースローのピ
ッチングフォームは我ながら美しいと自画自賛するとこ ろだが、どちらかというと一生懸命といった表情の方が気に入っていた。
 好きなことに精一杯打ち込める喜び。それが気持ちから態度、真剣な表情として前面にあふれ出ていた。
 気持ちの入った投球は、例え相手がおっさんだろうがプロだろうが、恐れを捨てて、自信を持っていける。
 ヒカリは自分自身の最高に真剣な表情を見つめ、今はこれだけのカオが出来るか、不安になる。
 男だとか女だとか、おっさんだろうと小学生だろうと性別、年齢に関係なく、チームみんなで小さなボール相手にバカみたいに夢中になっていたい。打てるとか打てないとかウマイとかヘタとか、かっこいいとかダサい
とか、お互いに激励したり、罵倒しあったりして、制限された体と拘束された心を自由にグラウンドに解放することがどんなに楽しいことか。  いつのまにか、写真が滲んでいる。涙が少しずつこぼれているようだ。
 近くて遠い風景。
 心だけが乗り遅れている。
 母親に恨み言を言うつもりはないが、野球をやるためには母親が自分の応援団長でなくてはならないのだ。それでなくてはやる意味が無い。否定されたままこっそりなんて、一時期だけの応急処置に過ぎないのだ。
 ――だったら、いっぱい話をして、解決しないと!
 だが、それが怖い。また否定されたら、どうしょう。そればかりが頭をよぎる。
 どうして、マウンドを降りると強気という武器が無くなってしまうのだろうか。
 自分のことに呆れてしまう。
 冷たい風が肌に染みる。プロ野球も消化試合の季節に入り、野球の季節は終わりだ。
 でも、プレイボールの声はこれから何度でも聞きたい。そのためには、やはり、することはひとつだけ。
 ふとベンチの枯葉の上、乱雑に置いたハンドバッグの中で何度も光って自己主張している携帯電話に眼が止まる。
 母親からかかって来たのかもしれないと、内心ひやりとしながらバッグから携帯電話を取り出し、相手を確認するが、知らないナンバーで何度もコールしている。
 ご丁寧に留守番電話に録音している。
 ――誰……?
 内心どきりとしながら、慎重に再生キーを押す。
 テンション的にはあまり聞きたくない声だとイヤだなと思いながら。
「もしもし、ねえちゃん、来週の試合、投げないかもしれないんだって?」
 ねえちゃん? だれのことだ?
「ブランクとかさあるだろ。そういうの気にして投げないとかだったらさ、俺、練習相手になるから、今度の試合出ようぜ」
 ぷっと思わず吹き出す。
――ああ、ユウくんか。
「……今度の試合、石崎来るんだろ? ていうか、呼んだんだろ? 俺、試合の日、ヒカリ姉ちゃんがマウンドに立っていることを期待してるからな。練習したかったらいつでも誘えよ、じゃあな!」
 早口で言いたいことを全部言って、デンワを切ったのであろう。家電の受話器を乱暴に置いたであろう音が電話越しに伝わってくる。きっと、ユキが隣でどうだったとか聞いている様子も想像できる。
 まさか少年に期待され、励まされるとは。
 まいったな、と時計を見ると0時に近づいている。バッグの奥底に常駐させている使い古しのボールを探り、一球投げたら帰ろうと心に決める。
 ボールを探り当て、ポーンと空中に投げて手の平でキャッチ。軟式とはいえ、素手で受け取るのは痛い。手の平からの衝撃は肉と骨を貫くように手の甲へと抜けていく。
 右手にボールを持ち替え、いつも相手をしてくれたコンクリートの壁へ足を向ける。
 目算で距離を測りながら、周囲を見渡し、瞳を閉じる。静かに佇む木々の隙間から流れる風の音、遠くで自動車が滑走する音、足首を左右に動かすだけで聴こえる砂利の音、それらを自然に受け止めて、一体となるつも
りで息を吸い込む。  たった一球のためにも精神集中は欠かせない。
 瞳を見開いて、目の前のコンクリートの壁の一点を見つめ、同時に大きく振りかぶる。
 グローブはなく、左手は添えるだけになってしまうが、気にせずいつものモーションにつなげる。左足を上げて体重移動、体を沈ませながら、背中から右腕を一気にしならせ、ボールに魂を込める。
 スピンのかかったボールは指先から風を切ってぐんぐんと伸び、腕を振り切ったヒカリは投げ終えたフォームのまま、コンクリートの壁に直進するボールの行方を見守る。
 コンクリートの冷たい反射音がするのと同時に、携帯がベンチの上で震えた。
 意識がふと携帯に向き、ボールがどの方向に向かって反射していったのか、見失う。意識を反らされたことに頭きて、電源もろともオフにしようと携帯を手にした瞬間、それが意外な相手で逆に興味を引き立てられた。
 それこそボールの行方よりも、だ。
 相手は香織だった。
「夜遅くごめーん。今週末ヒマー? ちょっと泊りがけで手伝って欲しい仕事があるんだけどさー」


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