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麗しのサブマリン

16

 背番号1番。
 エースナンバー。
 そんな栄光ある背番号を背負った時代もあった。
 だけれども、自分よりももっとすごい1番の持ち主を見つけてしまうと、自分の背負った1番がやけに飾りっぽい。
 本当にエースナンバーが似合う人、背負える人間は限られている。
 自分はただ順繰りで回って来ただけなのだ。
 そんなことはわかっていても、当時はうれしかった。 はしゃいで投げていたものだ。
 背番号1を背負った本当のエースに出会うまでは、輝ける勲章だったのだ。
 だが、出会ってしまった。
 しかも、限りなく屈辱的な言葉を残し。
 才能の差をことごとく見せつけられ、体格の違いを思う存分に発揮させられ、負かされつづけて来た。
 それなのに……なぜ、まだ、勝負したいと思うのだろう。
 勝てるわけが無いのに。
 ヒカリは目を瞑ると未だに思い浮かべる光景がある。
 ヒカリが野球を辞めて間もないころ、無敵の背番号1が西原家のインターホンの前で佇む姿を。
 結局、彼はそのまま素通りしてしまった。
 カーテンの隙間から、彼の様子を覗き込んでいたヒカリは慌てて追いかけるが、影も形も残らず消え去っていた。あれはなんだったのだろうか。なにか言いたいことがあったのだろうか。
 ――言いたいことがあるのは私の方なのに。
 あれから、何年経ったのか。見違えるほど大きくなって、速い球を投げられるようになって、豪快なスイングができるようになって、もう一人前の野球人じゃないか。
 専門誌の記事にて、注目の高校生として彼が載ったのを発見したときの手の震えは、未だに忘れられない。
 ドラフトで指名された時は思わず叫んでしまった。
 テレビ画面に向かって、おめでとうの言葉が自然に出た。
 だけれども、そんなときにこそ、ボールを見るのが怖くなる。妙に後ろめたい。
 でも、投げるのを辞めたら、自分ではなくなる気がする。
 ――あんな風に活躍できたら。
 きっと楽しいだろう。
「なにか、悩み事?」
 エンジンの駆動音が消え、クルマはサービスエリアに停車していた。
 窓を開け、タバコとコーヒーで一服している香織の姿が隣にある。
 窓から入り込む、夜風が冷たい。身に、心に染みる。
 おぼろげな意識の中、ヒカリは手を差し出す。心得ているように、香織はジャケットをまさぐって、まだ温かい缶コーヒーを差し出す。ヒカリは手を伸ばして受け取ろうとするが、その手を越え、ヒカリの頬に直接ほんのり温かい缶の感触がする。
「ちょっとぬるいかも」
 香織は笑顔でそういう。
「……それくらいの方がいい」
 残されたぬくもりを感じ、プルトップをあける。
「なんか、らしくないね」
 ヒカリの顔を覗き込みながら、香織は何気なく、問うて来る。
「そう?」
「そうだよ。いつもなら……真面目なヒカリちゃんなら、現地でのスケジュールについてあたしに聞くじゃない、いつも。簡単に打ち合わせして、それから寝るじゃない。それが、幽霊みたいな顔して、だんまりを決め込めば、誰だってなんかあると思うでしょ」
 ヒカリは返事をしない。香織は腕時計を眺め、時間を確認する。
「調子悪いなら家まで送るけど? まだ時間的には余裕あるし」
 ぶんぶんと首を横に振る。
「大丈夫……体はなんともないから」
 その態度に、ふふんと香織はわかったように鼻で笑う。
「ああ、ただ、思いつめてるだけ、でしょ。吹っ切れない……とかそのへんかな?」
「そのうちなんとかなるから。本当に大丈夫だから。引き返せないところまで行けば、吹っ切れるし」
 ヒカリは言ってしまって、自分のうかつさに気付く。
「ほー、あたしに片棒担げと、背中を押せと、そういいたいわけなんだ」
「そういう……」
 反論しようと思ったが、言葉が見当たらない。
 確かに、言い訳を作っているだけだ。
 利用しているだけだ。
「さっきも言ったけど、まだ引き返せる距離だからね。あ、もしかして、デートの約束とか? って、そんなベタじゃないか?」
 ヒカリはかぶった帽子のツバを下げる。表情を見られないように。
「まー、あたしの予想じゃあ、歯切れの悪さから言って、前々からの悩みなんだろうね。しかも未解決で、なかなか前に進めない。後悔するくせに前に進まない。あたしゃ、若いうちから周りに迷惑かけてでもやりたいことやってきたクチだからガムシャラに進めとしか言えないし、見本としてはどうかとおもうけど、あんたは周りに優しいからね、同じことしろってのはムリだろうけど、まず、どっちつかずはおすすめしないよ」
 結びは、いつもより、強い口調。
「わかってる……そんなの、わかってる! でもさ…」
 決められない。
 割り切った行動が出来ていたなら、きっと……。
「別に強制するつもりはないよ。ただ、あとであたしのせいにしないでね」
「大丈夫だから。ほんとに」
「んー、まー、そうならいいんだけど。ま、いいなら、出発するよ」
 そそくさとシートベルトを締めなおす。
 そのとき、携帯が震えた。
 こんな時間に?
 疑問よりも手が着信した番号を確かめる。
 知らない番号。
 ジュンかユキがチームの誰かにかけさせたのかもしれない。それだと面倒だ。
 だからといって、逃げ回るわけにもいかない。
 ――ああ、いい踏ん切りになるかも。
 そう思って、電話に出た。
「もしもし……あ、」
 この声は。
 電話口の声を聞いて、一瞬、思考が飛んで言葉に詰まった。
 ――冷静になれ。
 自分に言い聞かせるようにして、型どおりの挨拶をこなす。
「時間のことは気にしないで。それより今度の試合のこと?」
 そそくさと今度はシートベルトを外して、ドアを開け、クルマから降りる。声を聞き取りながら、周りのクルマの流れを様子見て、腰掛けられるベンチを探す。
 上着無しでは寒いが、つい出てきてしまった。
 震えながら、口では相手の問いに相槌をうつ。
「今度の試合? 出れそうなんだ。ふーん。あたし? あー、どうしようか悩んでたところ」
 ちょっと用事が、と付け足す。
「そうだねえ、あんたが出るなら、あたしも出ないとまずいよね」
 当然の話だ。何のためにプロである彼が素人相手と野球するのか。その理由は明確なはずだ。だったら、悩む理由はないはずだった。
「あたしの球を打ちに来るの? この前も言ったけど、今度は振らせて見せるからね」
 そうだ、あの自信満々のスイングを空振りさせた感覚。
 胸の奥で、熱い記憶がじわりと蘇る。
 ただ、理性が警告する。
 約束は――。
「逃げないよ。プロ相手だからって敵前逃亡なんかするわけないじゃん」
 それじゃ、試合の日、といって電話を切る。
 そして、一瞬、空を仰いで、確認する。
 ――帰らなきゃ。
 クルマに戻り、のんびりと待っていた香織相手に叫んだ。
「ごめん、今から帰ってもらっていい?」
 ヒカリのその言葉に、待っていたとばかりに香織は手を叩き、微笑んだ。
 走り屋の腕の見せ所だそうだ。
「吹っ切れたね」


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