MisticBlue小説コーナートランスポーター web版(DL版はこちら→txtzip)

「トランスポーター」


 1.厄介な荷物を積む夕方
 2.日暮れ時の変装
 3.真夜中の打ち明け話
 4.朝もやの臨検




 日はとっくに沈んでいた。延々と続く農園を薄闇が支配し、その中を突っ切る汽車は遠慮なく汽笛の音を轟かせる。
 二号寝台車の三番個室、メリーのあてがわれた部屋にふと小さな明かりが灯った。
 カートは明かりを灯して、またしても香りに気がつく。
 婦人の宿泊用に用意された芳香機を探し出したのだろう。うっすらと甘い花の香りが部屋中に広がっていた。メリーはベッドですやすやと寝息を立てていた。顔を覗きこんでみると、うっすらと涙の筋が残っていた。
 それを見て、起こそうと伸ばした手をひっこめた。カートは少しだけ悩んで窓際のテーブル席に腰をおろし、乱暴に折りたたまれた新聞を広げる。今朝から慌ただしいこともあって、目を通すのがこんな時間になってしまった。
 一面には新政府を率いる議長と名乗る男の力強い姿と演説文が載せられている。
 帝国主義の批判と革命政府の所信表明といったところだろう。カートはこの男が大嫌いだった。
 ――こいつがいなければ、あいつはあんなふうにならなかった。
 不機嫌な顔で窓を少し開け、空気を入れ替えた。
 ――いや、俺のせいか。俺が家に帰らなかったせいなのか……。
 レールを走る車輪のリズミカルな音が盛大に聞こえてくる。併せて汽笛の音がすれば、メリーはぱちりと目を覚ますのだった。
 目をこすりながら、カートの存在に気づき、顔を拭いて、カートと同じように窓際の席に座った。
「ちょっとぉ、勝手に入ってこないでくれる?」
 早々につっかかってくるメリーを相手にしようともせず、カートはバスケットの中からカップとサンドイッチの包みをメリーの前に置いた。
「朝から食べてないよな? 味はまあ、それなりだが」
 ティーボトルからお茶をカップに注ぎ、包みからサンドイッチを出してやる。
 そこには不思議そうにカートを見つめるメリーの瞳があった。
「……あ、ありがとう。気が利くのね」
 お礼をたどたどしく言って、メリーはサンドイッチにかじりついた。
 カートはその様子を見て満足し、自身のお茶をいれて、また新聞に目を通した。
 黙々と食事を続けるメリーはなにかに気づいて、ふと手が止まる。
「なんで私が食べてないって知ってるの?」
 メリーの疑問にカートは新聞を折りたたんで答えた。
「なんとなく、な。駅長や支店長は既得権益にうるさいくせにそういうところは気が利かないんだ。段取りを組むことでいっぱいいっぱいで、誰も皇女殿下のランチなんか気にしてなかった。そんなところだ」
「私、あの男好きじゃないわ」
 汚いものを吐き捨てるように言う。
「それは俺も同じだ。でも業績は立派なんだ。会社的には評価できる。人の上に立つ人間はそういうところが評価されるだろ」
「どうかしら」
「別に皮肉でもなんでもない。それと、仮にこう考えられないか? ランチすら出さない協力者って」
「彼も私のことは好きじゃなかった、しかたなくやっていたってこと?」
「ああ。新政府に告発するには度胸がないし、真面目に後ろ盾にするつもりもなるつもりもない」
「ロイヤルブルーも堕ちたものねぇ……あいつら散々ご機嫌伺いに来たくせに。いざとなってもこれだもん」
 怒っているというより、言葉尻は下がり調子だった。
「時代の流れだ、悲しいか?」
「どっちかっていうと、人の心の変わりようが悲しいわね」
 物憂げな表情で窓から空を眺める。暮れるのが早く、もう漆黒である。山間に入ったらしく、民家の明かりすら見えない。釣られてカートも景色を見ていた。希望なんてどこにもないような暗さである。美しい夕日が沈み、やがて深淵の闇が来る。前者で大自然の感動を味わえるとすれば、後者は絶望か。
 ――人の心の変わりようが悲しい……
 ふと、カートの心にひっかかった。
 真っ暗な夜空に快活な少女の姿が浮かび上がる。はにかみ、可愛らしく微笑む姿が、しばらくすると鋭い視線を直立不動の姿勢で投げつけてくるようになる。そして、彼女の後ろに見える男たち……。
 移ろう人の心。
 カートは思わず新聞を強く握った。だが、メリーの言葉ですぐに我に返る。
「あなたはどうなの。私のことが嫌い? 憎い? 贅沢をしてきたロイヤルブルーなんて滅んでしまえばいいと思っている?」
「……複雑だな。なんとも言えん」
 だが、
「ただ一ついえることは、厄介な荷物だろうとなんだろうと、俺は預かった荷物は確実に目的地まで届ける。これだけは間違いは無い」
 その宣言に、メリーはカートを見返した。
 なにか、を見たような、そんな表情で。
「ふうん。真面目だね。真面目なヒト男は好きよ。あなた名前は?」
「カートだ。カート=シーリアス」
「カートね。覚えたわ。私のことはメリーって呼んで。名前で呼ぶことを許したんだから、今度荷物とか呼んだらはったおすわよ……ところで、」
 サンドイッチが一切れ残っていた。
「あんたは食べたの?」
「……俺は次の駅で食べるさ」
「次の駅ってどれくらい先?」
「もう少しだ」
「ほら、口あけて」
「おい、やめろ!」
 残った一切れを強引にカートの口につっこませる。
 しかたなく、カートはそれを噛み砕く。
「これでおあいこでしょ。同じ釜の飯を食ったって言葉どおり、私とあなたは協力者よ!」
 独りで意気込むメリーにカートは思い切りため息をついた。

 コンコンとノックする音が響いた。
「今行く」
 そう返事したカートはあっという顔をした。
 この部屋は誰も使っていないことになっているのだ。
 しまったと悔いても遅かった。
 扉を少し開けると、パステルがそこにいた。
「なんだ、パステルさんか、どうしたんだ?」
 大きなバスケットを肩から掛けていた。生地や刺繍からしてエプロンが入っていた。
 そして、そのバスケットの奥底から、布がかぶさったなにかを取り出してカートに突きつけた。
「手を上げて、カート。残念ながら私はスパイよ」
 ぎょっとしながらも、布切れに包まれたなにかを注視し、念のため、手を上げる。
「冗談だろ、パステルさん」
「ええ、冗談よ」
 ぱっと布切れをとってなにもないところを見せる。ふぅとカートはため息をつく。
「あなたやっぱりだめねぇ。ウソつけない性格はそういう仕事向かないわ。それで、どんなコなの? 私に協力できることってきっとあるでしょう?」
 二手先を読んだような発言にカートは顔を覆う。好奇心というのは怖い。
「わかった。パステルさんのいうことは認めよう。だけど、パステルさんがスパイじゃないって証拠が欲しい」
 無理な話だった。そんなものがあるはずがない。
「難しいこというわね。でも、食堂車にいると面白い情報聞けるのよ」
「……例えば?」
「そうねえ、ベルク駅で本当に市民憲兵の臨検があるとか」
「やっぱり本当なのか……」
「ええ、確かよ。……この耳で聞いたもの、もちろん帝都の出発前にね」
 ありそうな話だった。情報が筒抜けなのだ。この場合、どちらにも筒抜けなのだから、マヌケな話だった。
 そして、ベルクの市民憲兵――。
 “この仕事はとても重要で誇りある仕事なの、だからあなたに手伝って欲しい”
 整った唇がカートの耳元でささやいた一言。
 色仕掛けなんて縁も無かったはずの女が積極的にその手をつかってくる。
 そんな過去を思い出し、
「人の心の変わりようが悲しい、か」
 ふとメリーの言葉をつぶやく。
「どう? 少しは信用してくれたかしら? ちなみにキャプテンには承認済みよ、次のビッグウェスト駅で一人女の子を雇うからって」
 そのためのエプロンか、と納得してカートは降参した。
「入ってくれ、紹介する」
「楽しみだわ、お姫様なんでしょう? うふふ」
 きょとんと窓際に座るメリーを見て、カートは今さら彼女がロイヤルブルーだということを思い出した。


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