MisticBlue小説コーナートランスポーター web版(DL版はこちら→txtzip)

「トランスポーター#3」


 
 
 
 
 
 





 お姉さんから君のことは聞いているよ、と話した時点で完全に敵だと決めた。
 メリーにしてみればミスト本人らしき人物を見ているのだ。目の前を通り過ぎて、そのセリフはないだろうと思える。
 この男の体付きは細く飄々としているが、骨格がしっかりしている。運動能力はメリーなんかとは比べ物にならないだろう。気持ちは逃げ出したいが、追いつかれて、事態が悪化するのは避けたい。
 この男が指し示す路地は、今、まさにメリーの姉であるミストが姿を消した通路。
 この男は信用に値するのか、重要なポイントだ。
 じろっと、悪意を持って男の顔を見るも、彼は表情を崩さない。あくまで、柔らかな顔のままだ。それがまた、柔らかすぎて気持ち悪い。
「あなたは?」
 何者? と、目を合わせないように聞く。
 だが、男は応えない。
「こっちだ、ついて来るといい」
 男はポケットに手をつっこんだままの軽いノリで先行する。
 そう、ミストの消えた路地裏に。
 そうなると、途端に困ってしまう。
 ついていくのも気が引ける。
 かといって、待ってもいられないし、他にどうすればいいという考えも浮かばない。
 メリーのすぐそばで氷の花をもてあそんでいたカップルもいつのまにか、消えてしまった。
 ミストの姿も幻かもしれない。
 現実は、路地裏に自分を誘い込む悪い男だけかもしれない。
 それでも、気持ちは吸い寄せられていた。
 姉が待っているかもしれない。そんな期待が膨らむのだ。甘い誘惑が危険や恐怖といった感情を麻痺させる。発作のように吸い寄せられていく。
 やがて、気づかないうちに踏み込んでいた。
 表通りとはうってかわったように人通りのない裏道へ。
 側溝の下から妙な臭いに鼻をつまみ、ほこりっぽい風に思わず手のひらで鼻と口を覆う。
 よそ見をしていたら、水溜りに足をつっこんだ。道路の舗装もなってない砂利道の水溜り。
 見上げれば背丈のあるアパートたち。ベランダからはみ出している洗濯棒、雑に干してある洗濯物。生活臭がするのに、人が少ない。
 表通りに戻るか? と一瞬逡巡したが、頭を振って、勇気をもって、歩みを進めた。
 リスクを背負っている感覚が胸を高鳴らせる。震える手をぎゅっと握り締め、男のあとをつける。
 幌付の馬車が止まっていた。
 毛並みはボロボロで骨格も肉付きも貧相な馬がつながれている。目つきもあまりよくない。ろくな持ち主ではない。
 メリーの足が止まった。
 お姉さまでもこのようなものを用意するのだろうか。
 しかたがなかった、と言われればそうかもしれないが、納得いかない。
「これの荷台に乗るんだ。すぐ着くはずだ」
 ニッと笑って男は指差す。骨組みの軋んだ幌が頼りない。
 メリーは冷や汗をかきながら、静かに首を振った。拒否した結果が悪い方向に流れていかないようにと願いながら。
 そんなメリーの態度を見て、男はおもむろにタバコをくわえてマッチで火をつけた。
 おもむろに煙を吐く。
「俺のことは信用できないってか」
 民家のレンガブロックによりかかって、男はタバコを吸いながら、ポケットをまさぐっていた。
 ――今がチャンス!
 メリーは走り出そうとした。
 が、足下の地面に光のように突き刺さったものがある。
 ナイフだ。
 地面に突き刺さった白刃が光を反射していた。
「次は当てるぞ」
 男の手元にはちいさな投げナイフが何本も握られていた。足元のナイフと男を交互に見ているうちに、メリーの足は止まってしまった。無理だ、逃げられない……と感覚的にわかる。
 それでも、逃げなければ。
 イヤな汗がどっと吹き出る。
 刃物と言うのは恐ろしい。
 その白刃を見せられただけで、人の持つ攻撃的な意志があらわになるようで、傷つけられる痛みと、その攻撃的な意志、その両方が恐怖をかもし出す。
 メリーは一歩下がった。革靴が水溜りに浸かる。
 最悪だ。
 泣きそうになる。泥水に浸かりながら、命のやりとりだなんて。
 ただ、ハッとなった。
 水溜りの中で固いものを踏んだ。凍っている部分がある。
 水を瞬時に、意のままに凍らせる芸当ができるのは一人しか思い当たらない。
 アイスブループリンセスの名を持つ、彼女しか。
 サイン?
 ――いるなら姿を現して! お姉さま!!
 大きな声で叫びそうになった。
「おい、なにしてる!」
 カートの声だった。私服姿のカートが男とメリーの間に入った。
「俺の荷物に手を出させるわけにはいかないな」
 カートの言葉に、男はあざけ笑う。
「荷物だア? 配達人如きが笑わせてくれる」
 挑発だとわかっていても、カートの眉間にシワが寄る。
「他人の物を運ぶだけで上前をはねるような卑しいような輩がナイトの物真似か?」
 メリーはカートの背中しか見えないが、自分のことよりも、彼の心が不安だった。黙っているが、内心怒り沸騰だろう。震える拳が今に殴りかかろうとしている。なんだか心配で動くに動けなくなった。相手は刃物をもっているのだ、掴みかかれば逆に危ない。
 カートはちらりと振り向いた。クイっと首を動かす。
 おそらく、先に行けということなんだろう。
「動かないで」
 メリーがローズの宣言に反応するよりも先に、カートが舌を打った。
「動かないで、おとなしくしたがってちょうだい」
 そうすれば、
「誰も傷つかないですむから」
 ローズの暗い声音だった。
 誰も、というのは誰を指しているのだろうか。
 ――おとなしく従ったって、どうせ、わたしは痛い目にあうことになるのよね!!
 わからない彼女ではないだろう。
「いいから、走れ――!」
 カートの叫び声に唇を噛んだのはローズだったが、メリーは男とローズが視線を逸らした一瞬の隙に、駆け出した。
 同時に気づいた、男のナイフがしなやかな腕の動きから飛んでいく。
 カートが腕を伸ばした。
 あ! と、ローズは口元を抑えた。
 鮮血がほとばしる。切り裂かれた袖。あっという間に赤く染まる。
 ローズはイヤと悲鳴に近い声をあげた。メリーもそれに気づいて、足を止める。
 ポタポタと袖から血を滴り落とす。
「いいから、行けよ!」
 怒鳴り声が響く。
 同時に男がメリーをつかみにかかる。
 どこからか、大型のナイフを振り回していた。
 男をとりおさえるようにカートは飛びつくが、逆手に構えられたナイフが切り払われ、シャツが裂ける。
「やめて!」
 そう、叫んでいるのはローズだった。
「なんでそこまでするのよ!」
 メリーはどうしたらいいか、迷っていた。逃げるべきなのであろうが、割り切れないのだ。迷っているヒマはないのに、迷っていた。
 ――見捨てていけるわけないじゃない!
 逃げるのが最善なのだ。それがわからないわけじゃない。
 でも、出来ない。
 ローズと視線があった。怖い顔をしていたが、メリーの姿を見て、何かに気づいたらしい。すぐに立ち上がり、メリーの元へ駆け寄った。
「最初から、こうすればよかった」
 怖いくらいの笑顔だった。
 不安げに彼女の顔を見上げると、勝ち誇ったような態度で見下ろしていた。
 ぎゅっと、ローズはメリーの腕を掴んでいた。
「ロベルト、このコは抑えたわ。もう、やめてちょうだい」
 メリーは思い切り、腕をひきぬこうとするが、ローズは落ちていたロベルトの投げナイフを拾って、首筋にぴたりとあてた。
「動かないで頂戴。これ以上、カートが傷つかないためよ。あなただって見ていられないでしょ」
 場は一気に鎮まった。
 カートとの息遣いだけが響いた。
「おまえ……なにやってるか、わかってるのか」
「わかってるわ。わたしはわたしが正しいと思ったことをしているだけよ! あなたのように!」
 一歩ずつ馬車に向かい、今度こそ積み荷としてメリーを載せようとする。紐で後ろで手に縛り、それを荷台の骨組みにくくりつける。カートとしても、もう、どうすることも出来なかった。
「カート、あなたも来る?」
 力無く笑って手を伸ばす。
 が、カートはツバを吐いて捨てるだけで相手にしない。
「そう。でも、これであなたの容疑もわたしの容疑も晴れた……」
 荷台に腰をおろし、そう言いきろうとしたところでローズの後ろに男の影があった。
ロベルトが急に足を振り上げて、思い切り、ローズの背中を蹴飛ばした。
 キャア! と、困惑の悲鳴。カートとメリーと、そして、荷台から落とされたローズが一番驚いていた。
「これは俺の手柄だ。スパイ女は配達屋と仲良くしてな」
「な……っ」
 言葉にならないうちに素早くロベルトは馬に鞭打った。貧相な馬だが、鞭に焦ったのか、勢いよく駆け出した。
 カートは反応して、走り出すも、あちこち切り裂かれて、血がシャツからにじんでいる。それでも追いかけてくる。
 ――バカ。追いかけなくていいよ。
 血まみれになって走ってくるな。メリーは涙を溜めて、そう言いたかった。

 ローズは立ち上がれなかった。
「しっかりしろ」
 声をかけたのはカートだった。
「世の中、そううまくできてないさ」
 肩をぽんと叩いて元気付ける。
「ごめん……」
 涙が出てきた。
 たまらなくなって、目頭を抑える。
「お、おい、あれ、どうしたんだ」
 ヒヒーンと馬のいななく声が聞こえたと思ったら、馬車が横転するとんでもない音が響く。
「行くぞ」
 腕をぎゅっとひっぱるカートの手は血で濡れていた。
「なんだってんだ!!」
 ロベルトは怒声をあげていた。
 道が凍っている。
 車輪と馬の脚がスリップしたのだ。馬はつまづいて倒れ、その体重が馬車に襲い掛かり、重量バランスが崩れ、車輪が軋んで、やがて外れた。車輪が外れれば、もう、あとは慣性の法則にしたがって、荷台は横転するのだ。
 ロベルトは道の真ん中に立つ、少女に気づいていた。
 鮮やかな青色の、ボリュームあるショートカット。
 背中に剣を背負っていた。
 胸に据えつけられた宝石のようなものが光り輝いて、彼女の足元から、氷の結晶が広がっている。スリップした原因は水溜りの凍結だった。それを馬が足を踏み入れたのだ。踏ん張れずに転倒。それでこの結果だ。
 そして、その凍結原因をつくったのは――
 アイスブループリンセスの異名を持つ、もう一人のロイヤルブルー。
「俺はついてるな」
 ロベルトは舌なめずりをした。
 ロイヤルブルー二人の捕獲なんていったら、勲章ものどころではない。
「メリーを引き取りに来たんだけど。返してくれない? トランスポーターさん」
 アイスブループリンセスこと、メリーの実の姉、ミスト。
 彼女はカートの職業にひっかけて、そう言ってのける。
「カモがネギ背負ってくるとはこのことだな」
 だが、ミストは動じない。
 背中の剣を抜こうともしないで、一歩ずつロベルトに歩み寄ってくる。
「トランスポーターってのは命張って自分の荷物守るらしいけど、あんたはどうなの?」
 その声にようやく気づいたのか、横転した馬車の荷台から、ひょこっとメリーが顔を出す。
 その顔は今にも泣き出しそうだった。
 ミストは肩から袖までびっしょりと水に濡れていた。ロベルトは無造作にその腕を掴んだ。特に抵抗もしないミストの細い腕をつかんだ、その瞬間だった。
 ミストの胸の石が光り、剣が呼応する。淡い光の下、ミストの濡れていた袖が一気に凍りつき、それは掴んでいたロベルトの腕に伝播した。
 水滴を一気に氷結化し、なおかつ、腕の水分すら結晶化しようと淡い光はロベルトの腕を包み込む。瞬間的な極度の冷凍に慌てて腕を引っ込め、ロベルトは青白い顔をした。
 もう、ミストを掴んでいた左手に感覚はない。ミストから手を離して、数秒もしないうちにぶらりと垂れ下がったまま、動かない。
「あ、ああ……俺の腕が……」
 ば、ばけもの……ロベルトの口がそう言った。
 ミストは自嘲的に微笑んだ。
「最初はみんなそう言う」
 かつてメリーだってそう言っていたものだ。
「でも、一生懸命、健気に生きる人たちにこの力、使えれば、みんなに認めてもらえるんじゃないかって考えているんだけど、どうかな」
 ミストは続ける。
「そういう人たちをおびやかす奴は化け物呼ばわりされてでも、掃除しなきゃいけないと思ってるんだ」
 汗すら凍る。ロベルトは一歩引き下がった。
「これ以上、抵抗するなら、体の心まで凍らせるけど、どうする?」
 威嚇と言うより、脅迫に近かった。圧倒的な差である。人間に血液が流れている以上、触れられたら終わりのようなものだと解釈するのが一番早い。
 元々、水に濡らしてきたのは手加減もいいところだ。
「次やったら、血も涙も凍らせるからね」
 凍傷しかけた腕を抱え、ロベルトは引き下がった。
 目は猛烈な熱さを帯びている、復讐を誓っているようなそんな眼だ。
 それでも、引き下がった。徐々に離れていき、一気に駆け出す。
 きょとんと見守ったメリーは大きな声を上げた。
「お姉さま、遅い!!」
 泣きながら、悪態をつく姿に、ミストはそっと彼女の頭を優しく撫でていた。



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